野口先生と愛用のカメラ 昭和56年の7月湯原温泉は、集中豪雨襲われ道路は寸断され旅館や温泉の配管も至る所で被害があり復興には数ヶ月かかるとも思われた。私自身も消防団員として連日、復興捜索活動で出動しました。9月に入ると漸く営業再開の目処も立ち始めた時、仲間との話題は今後の湯原温泉のあり方でした。そのような状況下で一条の光が差したのです。昭和55年に発行されていた「湯けむりの里」でした。その中で野口先生が書かれた露天風呂番付で湯原温泉の砂湯が西の横綱として掲載されていたのです。(療養温泉番付けも同時発表、そちらには真賀温泉が上位にランクされています。)これを使わせて頂き町の復興を図ろうと話がまとまり版権のお許しを得る為、有志代表3名で現代旅行研究所を訪ねたのが野口先生との出会いでした。快くご了解を得られ早速ポスターを作成し観光宣伝に活用させて頂きました。この活動は観光従事者に限らず町内外のあらゆる人達と団体にご支援頂き露天風呂の設えも従来以上に完全復興、後には大きな時計台付きの露天風呂番付けの看板も備え付けられました。これにより湯原温泉は、壊滅とまで言われた水害からも復興しその風評も吹き飛ばし元の元気な温泉地になりました。そして何よりも嬉しかったのは,地域の皆さんが温泉地としての地震を持った事でした。
 昭和62年6月26日には「ありがとう露天風呂」と名付けたイベントを開催。現在も行われており野口先生や竹村先生にも度々起こし頂き祝辞や講演も行って頂きました。
 平成14年、温泉関係者が温泉についての知識が非常に乏しい事に気付き「温泉指南役養成道場」を始めました。この時にも野口先生から数々のアイデアを頂き、湯原温泉の温泉に自信を持った我々は初めて全国の温泉指南役に準じる取組を行っている温泉地の方にもお声かけし温泉ソムリエやバルネオセラピスト、温泉入浴指導員などの多くの同じ考えを持つ温泉地仲間にお集まり頂き全国温泉指南役サミットを開催したのですがこの時代から湯原温泉にとって温泉は宝物だという意識が芽生えました。
 またこの温泉指南役は医療との連携二も繋がりました。日本で最初に人間ドック付き宿泊プラン「湯けむりドック」を始めるきっかけになりました。
 平成19年岡山ディスティネーションキャンペーンが行われたがこの機会に岡山全域の観光資源を旅行作家の皆さんにより再発見して頂こうと前年から岡山県のバックアップを受けて旅行作家の皆さんを大動員し山、海、鉄道、温泉、食、等多方面からアプローチ「吉備の国岡山再発見の旅」と言う本を発行して頂いた。観光県としては全国的に下位にあった岡山を単に短期間のキャンペーンで売り込むのではなく末永く売っていく為のコンテンツの作成であったわけです。
 平成20年野口先生の書籍や参考にされた貴重な古書、概ね5千冊余りを寄贈して頂きました。これを展示する為、旅館組合と観光協会の事務所を大改装。湯原温泉ミュージアムとして観光拠点に作り替えました。1階部分は事務所とイベントや会議などで使える多目的ホール、2階部分は、野口冬人資料館として寄贈された書籍の閲覧コーナー、そして温泉道場を造りました。野口先生の知識が湯原温泉の温泉指南役のバックボーンとなっているわけです。
 ここまで書いて振り返るとまるで年表のように見えますが私が野口先生とご一緒していて先生の人柄に触れたのは、取材のお供で各地を回った時でした。支配人や女将さんからお話を聞く時、とにかく女将さんや支配人さんから宿屋の良いところを聞き出す取材なのです。ご一緒にお聞きさせて頂きましたが、そのぞれのお宿とも長いお付き合いがあるので信頼感を強く感じ私にとっても大変勉強になる経験になりました。最後にご一緒したのは山形の温泉地だったと記憶しています。野口先生の運転で竹村先生と車内での楽しい会話が忘れられません
 先生は湯原温泉の大恩人で有り私の師でした野口先生のご本を読みながら先生を偲び安らかにお休み頂く事をお祈りいたします。

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