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日本の温泉地再生への提言 [13] -第1グループ 旅館・温泉地リーダー

温泉指南役のいる温泉街「湯原温泉」温泉地なら温泉を語れる人が必要

古林 伸美
(湯原温泉)プチホテルゆばらリゾート 社長


1.湯原温泉の歴史と温泉街の変貌
 私の町には空がないと人は言う。深い谷底にある温泉街は、いつ日が昇り、日が沈むのかよく判らない。来訪者によく言われる言葉だ。湯原温泉は、岡山県北部、中国山地の懐深い位置にあり「たたら製鉄」の時代から栄えた温泉街です。歴史的には宇喜多秀家の母であるお福(太閤秀吉の愛人)の療養の場所として登場してくるが谷底の為、数十年に一度は必ず訪れる大水に流されて歴史的な物は温泉街には残っていない。ただ下流部分、別の谷を少し登る位置には小さな村の中に8つのお社が祭られた県社があり、たたら時代の繁栄が伺える。
 古くは、そのたららに従事する者達や家族の療養の場所として栄えたようだ。江戸時代に入り自由に諸国を移動出来るようになる。当時、鳥取県の大山で大きな牛ウマの市があり、その往来で賑やかな時代が明治の一時期まで続いている。備前、備中、美作の人が牛や馬をつてれ来湯し行きは宿屋に泊まる事もなく、現在の砂湯の辺りで牛や馬を綺麗に洗いそれから大山の市に連れていく。帰りには、売った馬代で懐も暖かく湯原で湯女も上げて散財して帰っていった。
 鉄道交通の時代なってその牛馬市の行き来のルートが変わり、温泉街はさびて元の湯治場に戻っていったと言われます。戦後の観光ブームになり再び旅館が増え昭和47年の頃には芸者が120名いたというが当時の団体旅行の時代が次第に衰え個人客に変貌、湯原は、比較的にその変化に巧く対応出来て現在の姿になっています。現在、温泉郷全体では31軒、中心の湯原温泉部分では20軒の旅館があり、年間の来訪者は60万人、そのうち宿泊者は22万にとなっています。

2.どこに行く湯原温泉
 温泉街の様子は、谷川に面した僅かな土地に土産物店、飲食店と共に宿があり夕刻にはカラコロと湯下駄の音が響く様は、古き良き温泉街そのまま、町一番の名所は、最上流にある共同露天風呂「砂噴き湯:砂湯」です。

 昭和50年代から始まった町づくり運動は、「どこに行く湯原温泉」と名付けられ当時、団体旅行が主流であったにも関わらず「保養型」あるいは「療養型」の温泉地の可能性を見つめていました。しかし町の変化は緩やかで旅館などにおける施設やサービスが変化したのは、平成になってからでした。但し温泉街としてのあがきにも似た活動は、早くから行われイベントは、得意となっていました。カレンダーに「6月26日は、露天風呂の日」として掲載されていますがその発祥の地は湯原温泉です。年間には20ものイベントが行われています。近年は、ナショナルトラフと言うべきか古き良き温泉街を呼び戻そうという試みから射的店の復興や街角に湯街ゆかりの絵物語を大看板で掲示し浴衣姿でのそぞろ歩きを即しています。温泉朝市も旅館から補助を出して行っており重要なコンテンツとなっている。
 現在の取り組みは、温泉地のその存在意味は、温泉そのものにある。しかしそれに関わる者達が、その温泉について何も語れない状況となってしまっていた。昨今の温泉ブームで個人のお客様の来湯は増えている。迎える我々が温泉について語れないというのは由々しき事だと言う事で私達は、温泉について学びはじめました。特に地元のお年寄りから聞く伝承的効能や入浴方法、また共同露天風呂の入浴の決まり事など地元でなければ判らない事が数多くありました。それらの事を伝承していく事が温泉地としての湯原温泉の文化であると考えたわけです。

3.温泉指南役養成事業
 平成14年から、その準備に取りかかり15年5月に第一回の温泉指南役養成セミナーを行いました。宿泊施設の関係者ばかりでなく飲食店、土産物店、マッサージ師などに呼びかけ、町の福祉担当者も加えた38名が参加し、温泉についての一般的な知識と健康、療養への利用方法、さらに風呂場での緊急時の対処方法(蘇生術)、湯原温泉の特徴やその歴史、観光ガイドとしての知識まで取り入れた研修を温泉療養医、療養運動士、地元歴史研究家、消防救急隊員を講師として学びました。9月には日本健康開発財団の行う温泉入浴指導員の資格講習に併せて温泉指南役の養成セミナーを行い、5月にすでに受講した者も再受講し42名の温泉指南役が生まれました。今後も年1回のペースでセミナーを開き旅館経営者は元よりフロント係、客室係、赤提灯の親爺さんに射的屋の親爺さん、さらに教育委員会と調整中なのだが小学生にも故郷教育の一環として授業の中に取り入れて貰い、町中誰もが温泉指南役となるべく行っていく予定です。

4.温泉指南役としての問題点
 一方この指南役にはまだ問題点が残っていました。研修の中で覚えた知識もいざ実際にお客様に伝えようとするとなかなか伝わらないのです。そこで芝居の口上風に仕立てて披露する方法を現在、研究しています。例えば、共同露天風呂「砂湯の湯編む指南」では、以下のような感じです。

 露天風呂 砂噴き湯湯浴み指南口上
 とぉざい、とぉうざい〜〜〜。本日は、砂噴き湯へのご来湯ありがとうございまつる。我らは、湯原温泉の温泉指南役にござ〜〜いまつる。この砂噴き湯は、古代の湯治の姿をとどめる場所にて我らが守り続ける秘湯にございまつれば〜昨今の観光用の露天風呂とは訳が違いまする〜。故に〜後来湯の皆々様には、我らが掟、法度に従い湯浴みいただきまつる〜。

・・・若干の間をおいて・・

一つ.裸にて湯浴みなされよ。
 着衣の湯浴みは、お湯が汚れまする。水着は御法度にて候。

二つ.下を清めよ。
 湯桶なき場合は、手ぬぐいにても結構。十分に湯掛けし躰を湯にならし下をお清めくだされませ。

三つ.湯尻よりお入れよ
 入湯は、湯尻から身を清めながら、じわり、じわり、じわりと上にお上がり下さいませ〜。さすれば上湯にては顔もジャブジャブと洗えまする。仕上げは、長寿の湯にてなさりませ〜。

四つ.静かに拝め。
 病有る人は完治を願い、元気なり人は、その身に感謝し静かに浸かりなさりませ。

五つ.盗人にご用心。
 なにぶんにても諸国に名だたるお湯なれば、不埒なる人もこしまして候。

六つ.ご飲酒は、御法度にて候。
 お身体に障りまするに、加えて足下おぼつき怪我のもとにて候

 ここにご参集の皆々様は、まさに裸のお付き合いなれば、和気藹々にてお過ごし下されませ〜。ただ〜し湯当たりなされぬよう〜、ほどほどと思し召せ。初日、二日においては、日に一度、三日辺りになれば湯が身体になじみますれば〜朝夕の二度に。三度以上は、お命をお縮め参らせ候。ゆめゆめ、湯巡りなどと浅はかは、成されぬように。

 湯浴み中の皆々様には、御身お心をお癒し頂き、この後も再三再四のご来湯の程、隅から隅まで、ずずずい〜っと、御願い上げたて〜まつりまする〜。

この部分ではまだまだ工夫が必要なようです。


5.町の福祉事業との連携
 この事業は、町(行政)の行う福祉事業とも連携し、温泉指南役が旅館を利用したデイサービスを行う際に各旅館で対象者に入浴方法をアドバイスしたり、温泉の特徴による入浴時の注意事項などの説明を行っている。(15年度3旅館により延べ9回実施)

6.地域医療との連携
 町の経営する湯原温泉病院と連携し人間ドックと湯治をセットした「ホットドック事業」を行っています。これは健康増進目的(湯治)で来訪されるお客様に人間ドックを温泉病院で受けて頂き旅館側も受入時間や食事の配慮、送迎を行うという物です。その病院内での空き時間に温泉指南も行いその後の湯治の参考にして頂くという物です。

7.他地域との連携
 湯原温泉と同じ視点で温泉のスペシャリストを養成している地域との情報交換事業を行いました。私どもが主催していわき湯本温泉バルネオセラピスト(福島県)、肘折温泉スパリエセラピスト(山形県)、赤倉温泉温泉ソムリエ(新潟県)の皆さんにお集まり頂き、さらに今後取り組みを考えられている多数の温泉地の皆さんにご参加頂き「温泉指南役・全国フォーラム」を開催いたしました。

最後に・・ 湯原温泉の有利性は、その絶対湯量の豊富さにあります。噴出量の合計は毎分5600リットル。年間には304万トンの湯量となります。これを観光白書による来町者数60万人で割ると1人当たり約5トン、入湯税から求めた宿泊者数で割ると14トン。これは湯量を誇る草津温泉よりも多いと言う事になります。
 一昨年まで一部の旅館では黒川温泉を手本にして湯めぐりの入浴企画を行っていました。湯原温泉の泉質では、安易な湯めぐりは、健康面で問題があると言う事で廃止しました。今後、その泉質の良さと湯量の豊富さを生かした方法で外来入浴を活性化させようと試みています。方法は、「新湯都度張替」。ご利用のお客様毎にお湯を抜き変えて常に新鮮な温泉を使って頂こうという贅沢な温泉を売り物に試用という試みです。以前の湯めぐりでは、常に貯めた状態でお客様を待つ方式の為、旅館においては管理された大浴場を持つ中規模以上の宿でないと対応出来ませんでした。しかし温泉指南により温泉に理解頂けるお客様には、訪れて自分たちの為にお湯を張るという行為そのものが、上等のお湯として認識されその贅沢さが理解頂ければ小規模の旅館でも充分に対応が出来ると言うわけです。掛け流しよりもさらに贅沢な「新湯都度張替」温泉の価値が判っていただける入浴方法と考えます。


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