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インターネット&業界・よもやま話
<業界新聞や業界紙にコラムを持って早11年、最近はネタ切れ状態、ちと疲れてきたな。>

                 2008年  9月号

96:夏のイベント
 温泉地は、冬のものというイメージがあるが現実には8月が一番に賑わう。お盆期間を中心に夏期全体が稼ぎ時である。そんな訳で例年なら夏休み期間は、特に何もしなくても集客できた。むしろ秋以降の集客に向けての企画を固めるのが7月8月の観光協会なりの活動だった。ところが今年は、予想通りとはいえ異常事態だ。7月末になっても8月のお盆が埋まらないのだ。確かにインターネットの普及により年々予約の発生は遅くなっている。しかしそれにも増してこの春からの物価高、中でも燃料代の高騰による出控えが消費者の余暇の動向に変化を生み出しているように感じられる。身近なレジャーの一端ともいえる外食産業、中でも郊外型のファミリーレストランなどの売り上げに減少傾向が見られている。より大きな出費を伴う旅行も対策を打たなければ今後の経営に大きなダメージを受けることになりかねない。すでに各宿泊施設ではガソリン引き替え券のサービスや送迎プランなどで対策を打っている。しかしそれだけでは十分な効果は見込めそうも無い。いつもながらのバタバタながら急遽、お化け屋敷をやろうと言うことになった。下話はあったものの段取りを始めたのは七月の中旬、わずか十日あまりで準備し二十六日にオープン。宿泊客の集客に何処まで効果があるかは未知数だがとにかく何かアクションを起こさないまま手をこまねいているわけにも行かないだろうと立ち上げた。広報も含め何もかもが夏休み突入後となったわけだが七月末の時点での評判は上々。後は、これが何処まで宿泊に結びつかせるかが課題だ。この夏は、町中で広報車を走らせてこのお化け屋敷も含めイベントの案内を行わせている。来訪客へのアピールと言うのが表向きだが本当の狙いは、旅館を含め観光従事者への周知だ。ともすると折角行っているイベントを関係者が有効に利用していないと思われるのだ。小さなお子様も安心して利用できる「温泉プール」、古き良き温泉町の風情ある「射的屋さん」、たたら製鉄時代からの木地師の伝統を今に伝える独楽挽きの実演と絵付けの体験、ガラス細工の体験、湯原の環境の象徴である大山椒魚の生態が見られる「はんざきセンター」と「はんざきミュージアム」、無料の足湯や手湯、観光ガイドやエコツアーなど・・。コンテンツは、そこそこ有るのだが場所が分散していることもありそれぞれ単独の利用者はまだまだ少ない。今後は、徐々に可能な限りそれらのコンテンツを集合させる事も考えなければならないが、ともかく今は、観光従事者にそれらのコンテンツの有ることを改めて認識させ有効に活用させることが重要だと今更ながら気付かされた。本当にバタバタモードで立ち上げたお化け屋敷という夏季限定のイベントなのだがその周知を通じて湯街の変化と賑わい場所の変化に気付かされた。広報活動を通じて持ち駒の多さを再認識すると同時に弱点も知ることができた。このお化け屋敷は、綿密な戦略も無く危機感からとっさに大きな予算をつぎ込んだイベントではあるがその意味で有意義であった。


                 2008年  8月号

95:全国現代湯治サミット
 第二十二回目の露天風呂の日のイベントが今年も無事に賑々しく開催することが出来た。今年は、その前日、六月二十五日に昨年の肘折温泉からバトンを渡され第三回全国湯治サミットの引き受けとなったのでスタッフの負担は大変であったがこれからの温泉地の戦略を考える意味で有意義なモノとなった。このサミットは、私も入会している現代湯治研究会(会長 野口冬人氏)の主催なのだが内容と運営は、開催地に任されるので準備段階から苦労した。しかし北は、豊富温泉(北海道宗谷支庁管内天塩郡豊富町)、南は、三島村(鹿児島県の竹島、硫黄島、黒島)等、全国から百五十名の参加を頂き懇親会での交流も含めて大変勉強になった。サミットでは、内閣府の地域再生事業推進室の木村俊昭企画官や温泉療養医でもある湯原温泉病院の川上俊爾病院長からが地域資源を活用した地域づくりや医療と温泉の連携などについて講演があり、その後、全国の温泉地代表によるパネルディスカッションが行われた。湯治というと高齢の闘病者が自炊で十泊以上を寂しい温泉地の木賃宿で過ごすという暗いイメージを以前は持っていた。しかし実際の湯治場を訪問した時にそれは消え去った。そこでは短期間を過ごす場所とはいえ立派なコミュニティーが形成され湯街に賑わいすら感じられたのだ。特に昼の賑わいに・・。今回のサミットでは、これからの湯治にはリゾートとしての意味合いもあると感じられた。湯治にしてもリゾートにしても従来の一泊二食付き型から滞在型に移行する場合に必要と思うのは、地域内での楽しめるコンテンツやオプションの充実だ。宿から歩いて散策できる範囲(半径四百b以内)で如何にコンテンツを集約するか。自然愛好家や健康増進あるいは、知的好奇心を満足させる為のコンテンツ。さらに観光ガイドやエコツアーの人材の育成とそれらの内容を容易に伝え参加を募る為のシステムづくり。それらを時間単位でのモデルコースで結ぶ。これらをまずインフラとして充実させて行く必要がある。また同時に利用者に対するこの大きい意味での湯治という古くて新しい余暇時間の過ごし方を提案し啓蒙的視線で告知する必要がある。とはいえこれにはかなりのエネルギーと時間が必要だろう。湯原温泉的には地元の市営の温泉病院との連携や空き店舗を利用しての射的屋の復活など、さらには豊かな自然の維持という視点での廃食用油の燃料化の収集と自ら使用するリサイクル事業を行っている。また広葉樹の植樹などのエコ活動も行っているがこれらも立派なコンテンツなのだが私が私的に行うロンドンタクシーでのエコツアー以外には、生かし切れていない。周辺の地域でも森林浴や高原、城下町のボランティアガイドが多数いるのだが着地型のコンテンツの情報基地であるホテル旅館にはその情報が十分に理解されていないのが現状である。その他、エステやガラス細工などのクラフトなどもあるわけだがこれらの情報を集約し案内できる能力を宿泊地が持つ必要がある。また滞在型の宿泊客を延ばすには宿は、一泊朝食付きや素泊まりと言う宿泊形態での受け入れを積極的に受け入れることも町の飲食店や商店を賑やかにする為には必要だ。町の賑わいは、賑わいそのものが人を呼び込む要因となる。今回のサミットでは各地の事例から温泉地の復興の貴重なアイデアを多く頂くことが出来た。改めて参加頂いた皆様にお礼申し上げます。


                 2008年  6月号

93−2:観光産業は、やはり幸福産業
1.親に上手く育てられ小さいながらも自分は宿屋の跡取りになるものだと擦り込まれていた。その為?有る意味で競争心が無く勉強もしなかった。いざ大学に進学する時に選択肢が少なかった。結果的に当時の社会の風潮で食品経済学の道を選んだ。昭和四七年の事だ。当時、公害による環境破壊が問題視され第一次オイルショックを迎えた時代でエネルギー問題に始まり、食料危機が叫ばれていた。原油高によるインフレで物の値段は月単位で上昇していた。現在に非常によく似た社会情勢であったように感じている。エネルギーや食料生産、人口爆発などの予測が出され、それによれば人類は破滅の方向に進んでいると結論づけられていた。小松左京の近未来SF小説「大滅亡:ダイオフ」は、それらの予測を小説化した物でこの本で決定的に感化されて選んだ道だった。世界的な工業の振興による弊害で世界規模の海で赤潮が発生し魚が捕れなくなる。さらにエネルギーの枯渇で世界の国々はそれぞれ孤立状態となった。食料とエネルギーを遮断された日本は悲惨な状況に陥り結果的に人口の間引きを行うという正に滅亡的内容だったように記憶している。 大学では、農地の単位面積で何を栽培すればより多くの人を飢えから救えるとか酪農に転用すればどうなるとか、そこで利用するトラクターの馬力数はいくら必要とかをそれなりに面白がって勉強した。卒業する頃には当時心配された食料危機もエネルギー危機も回避され私も結果的に宿屋の若旦那になり今日まで無事に宿屋家業を続けている分けだが近年再びエコ活動から始めた廃食用油の燃料活動から各地で行われる講演などに引っ張り出され話題づくりに学生時代の事やその小説の事を思い出している。時代は繰り返すとはよく言った物だ。ガソリン税の暫定税率にかすんであまりよく見えないが石油などエネルギーの争奪は、現実に起きている。それに伴う価格の上昇は、今後も続くだろう。今の温暖化問題は、形を変えたオイルショックと思えてならない。

2. GW直前にこの原稿を書いているが、テレビのニュースが気になってしょうがない。暫定税率復活直前でガソリンスタンドに長い列、ガス電気料金の値上げに小麦粉等、食料品全般の値上がりが加速するという話題をアナウンサーが伝えている。こんなニュースを見せ続けられたらお客さんのGW気分も興ざめだろう。われわれ観光地としてもGW後に危機感を感じる。景気の低迷に加えて物価の上昇となれば消費者は不安感から生活防衛に動く。となれば一番に切り捨てられるのはレジャー費の削減だろう。人々が満ち足りさらに明るい未来が見えている時は観光地も繁盛する。しかしその逆の時は低迷してしまう。観光地間や旅館でパイの取り合いとか細かい事は有るにしろ、これは真実だと思う。 私の町、湯原温泉の歴史をたどってみても時代の波を乗り越えてきた事が良く判る。江戸以前の時代はたたら場の湯治場として、江戸時代から明治の始めは、歓楽的な温泉地、明治中期から戦前までは湯治場、戦後は、団体主体の歓楽的な湯街、昭和の終わり頃は老人旅行主体、五年ぐらい前は、家族カップルの湯街となり、現在は、日帰り家族旅行・・と言うような案配だ。  さて二〇〇八年五月のオイルショック後は、どのような温泉地になるだろうか。今後、ガソリンの値段が安くなる事は考えにくい。環境問題もありヨーロッパ並みの1リットル二五〇円〜三〇〇円なんて事もありえる。遠距離の自家用車旅行は、仲間を誘って燃料代割り勘の小グループ旅行がブームになるかも。格安バスツアーの時代かも等とも考えられる。食の地産地消も今まで以上に求められるだろう。いずれにしても観光地や宿は、今まで以上に工夫が必要になる。個人旅行に慣れた(我が儘に慣れた)お客様が再びグループ化するのだから昔の団体旅行とは違う。グループで来るけれど食事の内容も異なれば団体行動もとらないお客様だったりするのかも。逆に団体旅行にお客様が慣れてくると言う事も考えられる。そうなれば昔の団体旅行の復活なのだろうか。時代は繰り返すと言う言葉もあるし・・。GWが明ければ考える時間はたっぷり出来そうだ。いろいろな宿泊プランを作って手軽なネットで販売し当たりを見てみようと思う。  あれこれ考えながら原稿を書いていたら途中で寝てしまっていた。朝一番のテレビのニュースも暫定税率復活と食料品値上げ等の不安を煽る話題が中心だった。ここ暫く景気の面でも明るい兆しが見えない。今感じているこの感覚は、昭和四七年の第一次オイルショックの時に感じていたモノによく似ている。四七年との違いは、あらゆる物価が上る強烈なインフレでも消費は減少しない状態だった。青春時代と初老を迎えつつ身体との違いからくるのかも知れないが今の時代感覚は、社会全体にブレーキが掛かっている様に感じるのだ。地球温暖化防止などへの環境問題、地球規模での人口爆発と資源の分配などを考えればこの傾向を受け入れなければならない状況はやもおえないのだと思える。有る意味、この状況に順応してさらにその中にあっても幸福感を見いだせる精神構造だったり社会構造に移行する過渡期に有るのだと感じている。右肩上がりが普通の時代は終わったにしても幸福感が有ればあれば我々の生き残る道は有る。


                 2008年  5月号

92:春の雪解けも異常気象
岡山の県北も今年の冬は、地球温暖化と叫ばれる割には寒い冬であった。昨年末から2月にかけて例年以上に雪も降り深山には根雪が多かった。ところが3月の中頃に入り気温が急上昇。さらに18日頃にまとまった雨が降り出し雪解けを加速させたようだ。ホテルの前の幅10メートル程の川も急激に増水してちょっと激流状態になった。この川には昨年秋にホタルの餌として川ニナを蒔いていたのでそれが流されないかと心配になるほどの水量だった。橋の上で川の流れを観察していると川底の石が流される時に出るゴロゴロという不気味な音が聞こえていた。3月19日、NHKの環境番組の協力の為に徳島県に天どん2号(天ぷら油で走るロンドンタクシー:赤い方の車)で観光協会の仲間と出かけていた時、突然の連絡が入った。湯街直前のダムが水門を上げ放流をしなければならなくなったと言うのだ。出かける時には確かにまだ雨が降っていたが明日には天気も回復する予報だったはず。春先のダムの放流など記録を見ても前例がない。このダムは、結構巨大で高さが74メートル、幅が196メートルある。堰き止められて出来た湖は、周囲55qもある。滅多の事では放水などしない。普段の水量調整は、ダム直下の放水口から毎秒0.8トン。これが普段、温泉街を流れる大きな川の水量だ。主に調整するのは発電所へ回す水の方でこちらは温泉街西の山をトンネルで回して落とし込まれ最大毎秒38トンを発電しながら放水できる。(その時の発電量は、26万キロワットアワー:今は凍結状態にあるが北朝鮮の3つの原子力発電所の総発電能力25.5万キロワットアワーを超えると言うと凄いと思う)原油高の中、貴重なエネルギーでもあるダムの水は滅多な事では電力会社としても出したくない。それでも水門を開けダムの放流を行わなければならないと言う事が如何に異常事態で有るかという事が判っていただけると思う。ダムが水門を開けるとなると下流域の温泉街は、その為の対応が忙しくなる。コミュニティーのグループは、花壇のプランターを何十個やベンチなどを移動させる。駐車している車、300台もやっかいだ。水没する露天風呂も足湯を含めて4カ所ありそれぞれに案内を出さなければならない。私などは放水量の協議に出る事になる。露天風呂はともかく各旅館に配湯している泉源への影響を最小限に止める為、泉源が水没しない程度のダムの放水量というのがあるのだ。そのような事を観光の立場で意見し放水量とその期間が決定される。今後の天候だったり観光客の予約状況、それに電力会社さんの思惑等々・・。今年の年度末は、この異常な雪解け水、しいては地球温暖化に振り回されてしまった。  


                 2008年  4月号

91:講談師に挑戦中
 二月に放送されたNHKの全国放送特番「どうする日本」で湯原温泉の環境事業が地域で出来る身近な取り組みという事で紹介された。例の天ぷら油の廃油を送迎車の燃料に利用している事業だ。繰り返しビデオを見ているうちに番組の口切りで講談師の神田山陽さんの語る次の部分にはまってしまった。 春の花、夏の涼みに秋の月、めぐり来たったこの冬の雪、四季折々に彩られる美しき季節のあるこの国「日本」ところがその季節、いやいや気候がどうにもこうにもおかしくなった。そりゃー晴れたり曇ったりとお天道様は、ままならぬモノ、しかーし、それにしても連日真夏日、水不足、大型台風と近年は天変地異の雨あられ、天はいったい我々にいかなる警鐘を鳴らしているのか。そもそも地球温暖化とは大気中の二酸化炭素が原因である。日本は、その排出量が世界第四位このままいけば息を潜めて未来を暮らさなくてはならなぬか傷ついた大地をあきらめた時間を未来の子孫に渡さなければならなぬか。どうしたらよいのか我々は、いや、私は、そしてあなたは・・今、人類の歴史の一寸先は波瀾万丈の様相をていしている・・・。  この一説だがこれにはまってしまった。ビデオを繰り返し見ては文章に落とし印刷してトイレに張った。エコツアーや講演でかっこよく神田さん風に演じてやろうと思っているのだがことごとく失敗。中々難しい。以前も落語にはまって小朝さんの七段目の中の芝居の口上をヒントに名所の砂噴き湯で温泉指南役が演じる湯浴み口上を作った実績がある。こんどは講談を取り入れてエコ教室やエコツアーの出し物を作ってやろうと思っているのだが、話す情報量が圧倒的に多くあんちょこ読みながらやるしか方法がなさそうだがリズムが合わない。しかしも教室などでは可能でもくるまを運転しながら案内を行うエコツアーでは丸暗記しか方法がなさそうだ。CDやテープでは味がなさ過ぎる。ここは修行を積むしか手はないようだ。とりあえず今まで口伝えしかしてなかったエコツアーの内容を文章化してみた。ただ読んでも面白くも何ともない。講釈風にアレンジすることにした。この冬の雪ごもりにはかっこうの暇つぶしになっている。近所の仲間がうちに来ると「ちょっと聞いてくれ」とばかりにやってみるのだが面倒くさそうに付き合ってはくれるが合格点は、貰えてない。身内相手ではやはり緊張感がないせいかもしれない。この上は、ぶっつけ本番、エコツアーのお客様相手に部分部分試して反応を肌で感じながら口上の腕前を上げるほかないようだ。講談師「古林伸美」お披露目は、まだ先になるとは思いますが乞うご期待。


                 2008年  3月号

90:泉源発見?
 先日、旅行作家の野口冬人先生と竹村節子先生がお見えになりました。湯原温泉の事は、よくご存じですので今回は、何処をご案内しようかと思案していました。1月の下旬の事でたまたま大雪となりました。予定していた遠出は取り止め、竹村先生は、久方の来湯と言う事もあり改めて湯街を見ていただく事にしました。雪で足下も悪くロンドンタクシーでエコツアーも盛り込んでと言う趣向でご案内しましたがその折りの話です。  調子よくエコツアーのガイドを演じいつものノリで砂湯から湯街を案内する途中に普段通ることもない湯街裏側にある川沿いの源泉の所に行ってみたのです。その時、野口先生と竹村先生から「どうしてここは雪が積もってないの」、私「アレ?ホントだ」という事で車を乗り入れた場所なのですが。この部分は以前は川だった所を駐車スペースを確保する為、住民が砂利で埋め立て川幅を狭めた形になっている部分なのです。河川の駐車スペースから繋がっていますが通常除雪など行われるような場所ではない為、大雪の時には奥まで入るのは無理だと覚悟して乗り入れたのですが予想に反してまったく雪が無く土が露出し、しかも乾いているではないですか。そばの川では温泉と一緒に吹き出すガスの噴出が随所で確認されていますが埋めた部分がこんな状態になっているとはすぐ目の前に住んでいながら知りませんでした。現在、湯街の湯量は十分で新しい泉源にあまり興味もなかったとはいえ、この河川の未調査の温泉は、手つかずのまま放置されていたのです。私どもも何となく「湯が出ているな」程度には思っていても雪のない普段の川の状態の時にはガスしか見えず温泉の存在を確かめず忘れていました。山も道も30p程度の積雪、一面が雪景色の中で川沿いに長さにして150メートル幅10メートルに渡って見事に雪が溶け乾いた河原が露出しているのを見つけたのです。昔は上流にダムもなく、増水の旅に河原の形も変わっていたと推測できます。川の中では見つけてもすぐに風呂にする事は難しいでしょうが河原なら少し掘るだけで露天風呂が作れます。またその泉源の上に小屋を作って冬場を過ごす暖かい湯治場が容易に作れたと推察できます。川の増水の度に風呂を掘ったり小屋を造り直すのも大変です。多少の洪水でも流れないように川と風呂や小屋の間に石垣を積みさらに強固にし壁を築き小屋を連ね湯屋となした。そんな温泉の歴史が見えてくるようなこの冬の発見でした。  後日、この事をレギュラーのラジオ番組で話したのですが新聞やテレビで紹介される事となりました。テレビでは実際に河原をスコップと鋤簾で掘り小さいながらも四十二℃の立派な一日だけの露天風呂を再現してみました。この発見のきっかけを作って下さった野口先生と竹村先生に感謝です。


                 2008年  2月号

89:テーマとコンセプト
 湯原温泉に温泉民俗資料館とそれなりに立派な外観の建物が昨年までありました。十数年、管理人も置き市の真庭市の教育委員会が維持してきましたがあまりに来訪者が少なく昨年春に閉館されました。館内には住民から貸し出されたお宝が陳列されていたのですが観光客の興味を引く事は無く大赤字。補助金で箱だけは作ったが中身が無く、とりあえず住民のお宝を貸し出してもらい陳列と相成ったわけです。古い農機具や町内の遺跡から出土した考古資料(弥生土器、須恵器等)、農具を中心とする民俗資料、山中一揆(享保年間に当地方で起こった)をパネルで紹介、各種の和本、戦前の教科書、雑誌など。この展示品のリストだけ見るとそれなりにとも思えるのだが実際には、あらゆる雑多な骨董品も一緒に展される事になり結果的にテーマが良く判らない物になってしまっていた。さらにシルバー人材センターからの派遣による人材を管理人としておいていた為、元より専門的な知識もなく来訪者への説明も出来ない物でした。地元の住民も普段全く行く機会のない場所だけに関心も低く閉館になった事さえ知らない人が多かったと言うお粗末でした。  閉館後、預かり物を返し館内を整理すると使い便利の良いスペースが其処にあったのです。今まで教育委員会の管理施設だったものを地元の管理に戻して頂き観光協会や旅館組合で運用させて頂く事にすれば各種イベントやセミナー等も行えるし、展示スペースにしても温泉に特化した内容にすれば良い。さらに温泉卓球や温泉指南役の道場としても使えそうだ。今、この施設を我々観光協会や旅館組合で預かり運営する要望書を出している。願いが叶えば、名称も温泉ミュージアムとしたい。立地も湯街の中央でもあることからここを拠点に町作りを始めたいと思っているのです。温泉に拘りテーマを明確にすれば人の集う場所に成ると確信しています。  我々宿屋もテーマやコンセプトを明確にする事は、今後さらに重要になってくると考えています。私などもホテルの改装など行った時には、テーマやコンセプトを打ち出しているつもりなのですが時間の経過と共にぼやけていきます。特に雑誌など広告媒体やインターネットでの集客の為のプランの作成など・・ついついライバルのプランや企画に影響されてしまい揺らいでしまうのです。気がつけば、ダボハゼになってしまっている。地域のオンリーワンは、一つの宿ではない。サービス・料理・部屋の設え等々、規模に応じて有る物と考えています。新年を迎え改めて足下から見直し自分の宿を見つめ直してみるつもりです。旅館組合や観光協会の公務での役職でも同じ事が言えるかもしれない。差し障りなく無難に役をこなす事も大事ではありますが、今、自分に任された役職ならば自分にしかできない事業に着手し実現する。この原稿は年末差し迫っての状態で書いているのですが(またも締め切りオーバー:編集者さんごめんなさいm(_ _)m )新年を迎えるにあたりその思いを強くしています。  今年も波乱の年となるでしょうが、それぞれの立場で全力投球で頑張りたいと思います。私のこのコラムも九十回になりました。最近は文章が浮かばず逃げ出したいと思う事もあるのですが、ここまで来たら何とか百回まで・・と頑張る所存です。 そろそろバトンタッチも考えなければ・・・。


                 2008年  1月号

88:温泉街のエコツアー
前々号に十年後の夢話を書いたらエコツアーについての質問が一杯きました。そこで今やっているエコツアーの内容についてざっくり紹介させていただきます。 それではエコツアー、スタート。  「今日は、この車、天どん二号(天ぷら廃油で走るロンドンタクシー)でご案内します。どうぞご乗車下さい」。キュルキュルキュルガァー、ゴトゴトゴトゴト」快調にエンジンが始動。周囲にわずかな天ぷらの匂いが漂う。ゴトゴトヨタヨタとディーゼル特有の振動を発しながら湯街を転がしていく。砂湯→「ここは今でこそ西の横綱「露天風呂:砂湯」などと呼ばれてますが、他の泉源に比べて量も少なく温度も低かったので昔は、乞食湯とか牛馬の湯と呼ばれていたんですよ。」ゴトゴトトロトロヨタヨタ。温泉薬師→「この川沿いの湯街は、昔、河原で十ほどの露天風呂があった場所。現在は、その上に家が建ち湯街になったんです。涌いていたお湯は、温泉館に集められ沸かし直しする必要がない範囲に限って配湯しています。」ゴトゴトトロトロ。河原の湯尻→「ここは、湯尻の洗濯場と足湯です。泉源から送られたお湯が冷めないように配管の末端(湯尻)には、洗濯場や足湯を作ってお湯を捨てているんです。」ゴトゴトトロトロ。ゴミの集積場→「このゴミステーションの横にある天ぷら油回収容器は、住民の皆さんがエコディーゼル事業に協力して設置してある物なんです。今は旅館より沢山の廃油が集まります。昨年は四万リットルを超える量が集まりました。この車でもリッター十四qは、走りますから地球を十四周出来る燃料が地域の中で生み出されているわけです。」ゴトゴトトロトロ・・。こうして四十分あまり、古い木造の小学校の校舎や里山と「たたら遺跡」、はては水力発電所等々を車窓からご覧頂いてエコツアーは終了する。  およそ普通に考えたら観光資源にはならないだろうと思えるポイントをロンドンタクシーで案内しているのですが、これが結構、好評なのです。基本的に車から降りないので雨も雪の日も関係ない。晴れれば眺望の良い場所もあるのでさらに喜んで頂いています。本来のエコツアーの内容もさる事ながら折からの燃料代の高騰もありリッター七十五円のEDF(天ぷら油再生燃料)は、センセーショナルな話題ともなっていてマスコミの取材も週一ペースで入っておりそれへの対応も大変なのですが、お陰様で徐々に参加者も増えています。本来、湯原温泉の最大の特徴である自噴泉をアピールし、そのあるべき利用方法をご覧頂き、それに関連づけて湯街を流れる川とそこに生きる生き物、そして環境全体を考えていただくエコツアーなのですが一番に興味をお持ちなのは、EDFの安さと「大丈夫なのか?」と言う疑心感。しかし参加して下さったほとんどの皆さんが下車される時には、それなりに共感下さり感激して下さっています。始めた頃は、手探り状態でしたが今は、手応えを感じています。  歩いて案内すると間延びするし、普通の車だと速すぎる。周囲に愛嬌を振りまきながらゴトゴトヨタヨタ走るポンコツのロンドンタクシーがこのエコツアーには丁度良いようです。始めて一年になりますが今ではお客さんのご希望に合わせて十五分から九十分の時間でコースを組み案内出来るようになりました。ロンドンタクシー二台と小型バスに分乗しワイヤレスマイクで案内し二時間で百人という荒技も出来るようになりました。湯原温泉にお越しの際は、エコツアーを一度体験してみて下さい。


                 2007年 12月号

87:蘇れホタルの里
 先日、地域の子供達とホタルの餌になる「川ニナ」を川に放流しました。 台風シーズンも終わって川の水量が落ち着いたこの時期が良いと言うことで川ニナ20キロを温泉街の支流三百メートル程の間に放ちました。かなり密集した感じになるのかとも思ったのですが三週間ほどたった現在は、それなりに分散して生育している模様です。散歩の際に橋の上から観察するのが日課になりました。川ニナは、本来、人間と共存する環境に多く生息していたそうです。米のとぎ汁や糠や野菜屑が良い餌になっていたようです。ところが人間の生活に洗剤など化学薬品が使われる様になり数が減ってきたと言うことだそうです。私は、子供時分、川ニナの味噌汁が好きでよく採ってきては、母に料理をしてもらっていました。沢山取れた時には、佃煮にもしてもらってましたね。今回放流した川は、温泉街の露天風呂などある大きな川ではなく支流の田羽根川です。この川は、初夏には河鹿蛙も多く元々ホタルも数は少なかったのですが源氏ホタルも飛んでいました。その時期には「かじか通りホタル川」と書いたノボリも立てて観光客の散策コースとしているのですが昨年の大雨で流されてしまったのか今年は、ホタルが極端に減ってしまったのです。そこで川ニナを放流したわけです。川には、時々川ニナの餌になる米ぬかをストッキングに入れて見苦しくならない様に工夫しながら与えています。四月中頃にはホタルの幼虫を放ち、さらにホタルのシーズンが終った頃、丁度その時分には川ニナも散乱し小さな川ニナが一杯生まれるそうです。その川ニナの様子を見て次の年成虫になる小さな幼虫を三万匹放流する予定です。数年がかり(おそらく五年)程度の少し気の長い話になりますが何とか成功させたいと思っています。  天ぷら油を川に流させない為に始めたエコディーゼル燃料事業、美化活動等の本当の成果は、このホタル再生で初めて出ることになると思います。 ※添付画像


                 2007年 11月号

86:2017年9月 ある日の一日  昨年、CIDPの遺伝子治療を受けた。25年間失っていた身体の機能がメキメキと回復して今では少しなら走る事も出来る様になった。今日は、天気も良いので早朝、河川公園を散歩してみた。川沿いの遊歩道には河川特区(※注1)に指定されてから桜や柳が植えられ、その並木が育ってベンチに優しい木陰を作ってくれている。ダムの放水も防災システムが認知されてから住民監視の下では希なことになり浄化システムとの相乗効果で旭川は、管理された清流となり一時いなくなった錦鯉も増えてこの川は「自分たちの池みたいなものだ」と言って自慢の種になっている。夏には泳ぐことさえ出来る程、綺麗なのだ。対岸にはカワセミの人工巣も設置され野鳥観察の穴場にもなっている。鴨や白鳥などの水鳥がお客様を和ませている。公園内の木立の間に整然と駐車された色とりどりの車はそれなりに美しく思える。ここの駐車料金で街は整備されているのだが以前の無秩序な姿が嘘の様だ。街の大部分が交通規制され一般車両の乗り入れが禁止されているので車両の動線は川側になっている。本来の道路部分は、許可車両が遠慮がちに走るだけだし特にこの時間は静かなものだ。足湯も早朝から賑わっている。側にあるカラクリ人形は定時に動くので、それを目当てにお客さん達が繰り出している。足湯ごとに趣の違うカラクリがあり一日見ていても飽きない。この動力は温泉への拘りで低温度差スターリングエンジン(※注3)を利用している。このスターリングエンジンそのものもモニュメントであり湯原の豊富の温泉の証である。これらは温泉配湯や関連施設の運営委託を受けた温泉協会の資金で整備された。また砂湯もこの資金と駐車場の資金で整備運営される様になりトラブルは皆無となっている。 川沿いから離れサボテンの方に歩いてみた。田羽根川沿いの温泉ミュージアム(旧民俗資料館)には温泉道場の告知看板が出ていた。それにしてもここは忙しい。連日、セミナーやコンサート、時々は映画祭も開かれている。特に湯治客には人気のスポットだ。街を一巡して家の前まで帰ってくると鼓橋の向こうでは楽市楽座が店開きしていた。昼は木工のクラフトや特産となったキャンドルや独楽などの土産物が並ぶのだが朝は、やはり農家のおばちゃん達と野菜が主役だ。私がこの市に行くのはもっぱら夜が多い。夜は屋台通りとなるのだ。ホテルに帰ると私も営業開始だ。私の店は息子と娘に譲ったホテルの横にあるエコツアーガイドの待合い茶屋だ。土産物の販売とお茶に和菓子で接待しながらエコツアーの待合いとしているのだ。8時になるロンドンタクシーの運転手に変身だ。10年前に始めたエコツアーは、今や私のライフワークとなっいる。2台のロンドンタクシーは、今もヨタヨタと走り続けている。燃料は、河野君に頼んで精製に木質エタノールを使った特製のEDFで走らせている。コースは、お客様のに選んで頂いているが旧湯原支局を昔の小学校に復元した「昔懐かし田舎の学校とハンザキセンター」、「古代のロマンもののけ姫(社)コース」、「民話コース:不動滝」が人気だ。  午後になり少し暇になったので子供達のホテルを覗いてみた。今日は外食のお客様が多く湯治のお客様の夕食の準備だけしていると言う。湯原温泉の宿は棲み分けが進み息子のホテルはプチ湯治のお客様が主になっている。  店に帰るとエコツアーのお客様がお待ちだった。家内がカステイラとお茶で間を持てなしてくれていた。最後のツアーを終えた後、温泉アカデミーの白髪の辻館長と酒屋のシーちゃんを誘い湯街の屋台通りに繰り出した。  今から10年先、64歳の秋こんな一日を過ごせたら良いと思う。


                 2007年 10月号

85:ロンドンタクシーとバイオディーゼル燃料:その後
旅館組合のエコ事業のシンボルにしようと三年前に購入した中古のロンドンタクシーは、その後もエンジンのトラブルは無くヨタヨタと走っています。当ホテルのエコツアーや真庭市で行っているバイオマスツアー等、また環境関連のイベントにも利用していただいており今や湯原温泉の顔にもなってきました。しかし何分にも古い車でエンジン関係は最初から国産(ニッサンディーゼル製)ですので問題はないものの電装や足回りとなると話は別でして希少車の為、部品の調達に苦労しています。そこで部品取り用と考え今年の春、同じ年式の赤色のロンドンタクシーを購入しました。この赤い方が思いの外、調子が良いので結果的に最初の黒いロンドンタクシーと赤い方を交互に整備しながら走らせています。二台同時に動かすことは希でして概ねどちらかは整備工場に入っています。燃料系やエンジンに問題は無いのですがこの夏の猛暑に冷房(エアコンではない)のコンプレッサーが焼き付きました。両方ともです。一台は、道後温泉で開催された全旅連の全国大会にお披露目で持って行く途中、松山市内を目前にして突然ガラガラと異音を発したとたんぶっ壊れました。道後温泉では涼しげに窓を閉めて走っておりましたが車内はサウナ状態でした。帰りの道中の長かったことこの上なし往復四百キロの高速走行には無理がありました。何分にも概ね二十年前に製造された車ですので部品を手作りしなければならない状態だそうで修理に一ヶ月以上掛かります。仕方なく一台を修理に出し、もう一台でこの夏の猛暑の中、汗だくのエコツアーを行う羽目になりました。お客様は短時間の乗車ですので辛抱して下さっているのですが連続してご案内を勤める運転手は大変でした。エコのイベントで試乗会などでは最新の電気自動車やエコカーの涼しげな車が並ぶ中で地獄の釜の思いだったようです。ただし他の車のエンジン音は、ほとんど無音の状態の中、ガラガラとディーゼル特有の音を立てますので一番目立った様です。その一台の修理が終わったのは、すでに秋の気配が近づいた八月の下旬。もう冷房は不要という頃なのですが来年に備えもう一台も整備に出しています。修理にはやはり一ヶ月以上は掛かるようです。この先も何が壊れるか判りませんので二台所有は正解の様です。しかしそこまでしてロンドンタクシーを維持する必要があるのかというと「?」です。家族からも「物好き・道楽」と罵られております。  さて本来の目的である天ぷら廃油のリサイクル事業ですが順調に推移しています。現在、月に三千リットル。年間四万リットルをEDF(エコ・ディーゼル・フューエル=BDF)として再生しており組合加盟旅館の送迎車で消費しています。お客様にはこの量のたとえ話として「この車で地球を十四周できる燃料」とご説明しています。国の施策にも乗っかり市の後押しも受け来年の春には約十倍の年間五十万リットルの精製が出来る工場を造る計画も持ち上がっています。エコとバイオの温泉地のイメージは、これからの時流になると思っています。


                 2007年 9月号

84:賑わいの創造 その2
   肘折温泉と銀山温泉
 先日、お誘いを受け山形県の肘折温泉で行われた「現代湯治サミット」に参加させて頂きました。翌日から開催される開湯千二百年祭の前夜祭に伴うイベントでした。湯治場として栄えてきた肘折温泉と言う事もあり興味津々、友人を伴って参加させて頂きました。全国各地から多くの方がお越しで、また地元の方も関心も高く各地の様子に聞き入っておられました。サミットの内容については近く肘折温泉の皆さんが何らかの形で広報されるはずですのでそちらをご覧頂くとして私の方からは肘折温泉の湯治場の賑わいについてレポートさせて頂きます。  肘折温泉に到着したのは、朝の十時過ぎでした。待ち合わせの時間には余裕がありましたので湯街のあちこちを観光させて頂きました。まず驚いたのは湯街の道の狭さです。道幅4m少々でしょうか、曲がりくねった道に路地がつながっていました。この道の主役はあくまでも人であり、車はかなり遠慮しなければならないのです。逆に町を歩く時には居心地良さを感じました。その狭い道のあちこちには旅館などの前に足湯が開放されていて浴衣掛けのお客様が連なておられました。また土産物屋さんや商店(雑貨屋兼土産物屋とか酒屋さんとか食品店)は、大勢買い物をされていました。概ね高齢の方が多かったように見受けられました。店の方は、若い方が多く軽やかな会話が飛び交い賑わいを感じました。この時間、湯原温泉なら閉散とした感じなので吃驚しました。さすが肘折は湯治の本場と感じさせられました。自炊客が半分以上と言う事をお聞きしていたので土産物屋さんと雑貨や食料品店が区別が付かない感じで混在しているのもなるほどという感じです。  肘折温泉では一泊し1200祭の一部行事を拝見した後、銀山温泉に移動しました。 こちらは湯街入り口で車はシャットアウトという湯街全体が歩行者天国になっているテーマパーク的温泉地というイメージを感じました。お昼前に到着したのですが湯街手前には観光バスが来ていて若い方や中年の方を多く見受けました。昼は、観光の立ち寄り場所という感じでしたが夜は落ち着いた湯街に戻ると言う感じでしょうか。  この賑わいを感じる二つの温泉の共通点は、狭い空間の心地よさと賑わいの集中、車の排除そして歴史でしょうか。湯治客が作る生活の匂いのする賑わいと立ち寄り観光客での賑わいはまったく異質な筈なのですが・・。  湯原温泉も砂湯に至る道は人主体の町として車はご遠慮頂き、その部分や車両の入りづらい路地裏に賑わいを創出した方が良いかも知れない。

  


                 2007年 8月号

83:CIDPの近況
   身体の自由度と口の関係=世話役

 昨年9月身障者の程度変更があり3級から1級に昇格しました。あまり嬉しい話ではないのですが治療費の負担金が大幅に安くなったのはありがたい話なのです。  私の病気は、CIDPと呼ばれる免役不全の病気で自分の免疫が自分自身の神経を攻撃する抗体に変異していて主に手足の運動系の神経に障害が起きています。この治療には自分の免疫を押さえ込む為に他人の免疫を大量に輸血する治療が必要で月に五日間、一日に七時間の通院治療を行っています。この治療に使う薬が大変高価で保険適用になった今でも四〇万円程度掛かっていました。高額医療となるので数ヶ月先にはその内の三十万円程度は帰ってくるのだが一時の負担が大きいので本来、月一度の治療を行う必要があっても三ヶ月に二回とかタイミングの悪い時には二ヶ月に一回程度になっていた。ところが身障者の認定が一級になってから一回の治療代が一万円程度で済むようになってのです。げんきんな物で治療代が安くなるとこまめに治療に赴くようになりました。この効果は、数ヶ月後に現れました。徐々にですが足に力が入るようになったのです。歩行距離が二倍には増えた感じです。  発病したのが一九九二年。数々の治療方法を試みたのですが有効な治療方法が無く十年間放置状態でした。その後、人の免疫を輸血する血液製剤での治療法の安全性がある程度保証できるようになったのとこの病気の治療法として保険適用になったと言うことで二〇〇二年から現在の治療を受けています。発病から一〇年間は絶望感に苛まれながらも日々を大切に生きました。免疫治療を始めてからは明日の事が考えられるようになりました。そして今、徐々に回復の兆しが実感できる様になりました。治療その物は、死ぬまで行う必要がある訳で月に五日間は病院に縛り付けられる運命ですがそれは完全休養期間と割り切ってしまえば言い訳です。発病以来、一七年になるわけですが新たな局面を迎えています。  さてそんな私ですが身体が動かなくなった分、口が立つように成った所為かどうかは別にして町の世話役は、問答無用で回ってきます。三年前からは旅館組合長を仰せつかり今年の総会で留任となりました。さらに前代未聞なのですが「観光協会長もお前ヤレ」と言う事になってしまいました。一つ受けたら同じ様なモンだろうとタガを括って掛かっていたのですが大きな間違いでした。五月の総会以来、カレンダーに空きが無くなってしまったのです。殆ど毎日何かの会議が入っている。多い日には三つ四つと分刻みでスケジュール管理されている。良いリハビリになっているとは思うのですが少々オーバーワーク気味です。お陰で我が宿の事は、家内や子供たちに任せきり、たまに業務についても浦島太郎状態でさっぱり要領を得ずあげくは、「お父さん邪魔だから・・・」となってしまいました。私は、宿屋の親父家業が大好きでもっと前に出たいと思っているのですが実質的な隠居状態に成りつつあります。実に寂しい・・。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2007年 6月号

 先般、倉敷のビジネスホテルが宿泊拒否でやり玉に挙がった。保健所からキツイお叱りがあったと聞き及んでいる。関係者からの情報によるとどうもこの処置には腑に落ちないところもあり理不尽とも思われる。事のいきさつは、以下の通り。  5月のある日のこと、夜間、中国の方がお一人でAホテルに飛び込みでお越しに成られたがあいにく満室でお断りしたそうです。どこか別のホテルを紹介しろという事になってAホテルのフロントは、Bホテルに電話で空室の確認をしたんだそうです。その際、Bホテルに中国の方と伝えたところ外国語は判らないので空室はあるがお断りすると答えられたのだそうだ。Aホテルの担当者は、その答えをそのままお客様に伝えた。その後、Aホテルは、Cホテルを紹介しお部屋が取れたのでお客様は、無事Cホテルに行かれたのだそうです。ところがその後、そのお客様は、Cホテルにチェックインした後、Bホテルにわざわざ出向き何故断ったのかと理由を尋ねられたそうです。2時間余りあれこれ話し合われたが怒り収まらず後日、華僑の団体を通じて観光協会や行政機関にクレームが入り新聞沙汰となった。概ねこういう状況での騒ぎなのですが、このBホテルは、今回、問題となった夜間のチェックイン時は、経営者の両親でもある老夫婦二人で普段から対応していたのだそうだ。外国語が出来ないと言う事もあって外国のお客様は、過去にもお泊めした事がなかったらしい。  このBホテルの老夫婦の立場で思うに降って湧いたような不幸な出来事と思えてなりません。Aホテルの親切でCホテルで宿泊を受けられたのに何故?Aホテルは、何故、Bホテルの断りの理由をお客様に伝える必要があったのか?とか・・。これは単に外国人受入拒否とか言う次元ではなく単なるクレーマーではなかったのかと思えるのです。それに対してインバウンドとか声だかに打ち上げている行政やマスコミの過剰反応では無かったのではないでしょうか。確かに宿泊施設側の対応にも問題点があったのだとは思いますが、そもそもこの旅館業法で言うところの正当な理由無き場合の宿泊拒否の禁止という件は、施設側にとって余りにも不都合というか理不尽というか曖昧というか、実際に経営する立場では問題がありすぎる法律のように思えて成らないのです。現実には料金で折り合いが付かずお断りする場合もあるし、お子様連れお断りの宿やワンちゃん等、ペットお断りの宿は、いっぱいありますよね。その昔、私の父など「態度の悪いお客様は、帰ってもらいなさい。」等と平気で言っていたのを記憶しています。宿屋も本当に弱くなったモンですね。


                 2007年 7月号

82:ダムと温泉
昨年7月の長雨と豪雨で主要道路が土砂崩れにあい半年間に渡り通行止めとなった。さらにダムの大放流で河川内にある名所の露天風呂が流失し復旧にこれも5ヶ月を要し風評もあり昨年度の入り込み数は過去30年間で最も低い数字となった。バブル期もバブル後も変化の無かった平和な温泉町にこの水害の結果、休業に陥った施設3軒、廃業1軒が発生。我が町は今、緊急事態となっている。まさに昨年は、自然の猛威を思い知った一年だった。しかし土砂崩れは、致し方ないがダムの放流については人災とも思えてならない。今年の雨期に備えて昨日、湯原ダム直下流管理連絡会議が行われた。岡山県担当者、市の関係者、地元代表、電力会社という面々が集められた。かなり重苦しい雰囲気の中で話し合いはスタートした。冒頭は主催者であるダム管理の県職員が口を切ったのだが専門用語が多い上にネットでの防災システムの説明など我々素人には理解しづらい話ばかりだった。頃合いを見てこちらから突っ込みを入れてみたところ意外に簡単にボロが出てきた。複雑に絡み合う行政や電力会社の中でも重要なダムの貯水率などの部分で認識が異なったのだ。会議中に行政側で意見調整する場面もある様な始末で我々が甘く見られていたのかと少し腹立たしく思えるぐらいだった。しかしこちら側には数値的の記録などあろう筈もなく過去の放流時の経験的な話でしか対抗できないのが残念だった。事前放流は可能だったのか否か?放流量のコントロールは、適切だったのかどうか人が判断し電力会社の思惑も必ずあった筈だ。疑問点は多く残っている。  しかし過去は過去として今後の対応については、その場で住民側から出された貯水率の公表、放流時の連絡網の徹底とアナウンス内容の徹底、放流時の水位計の設置、貯水状態を監視できるライブカメラの設置、耐用年数と耐震強度の確認など具体的な対策をとるという事で会議は終わった。この湯原温泉のダムは、湯原ダムと呼ばれ昭和30年にできた物で高さ75m横幅200mと言う中国地方では一番大きなダムである。作り出された湖は湛水面積で455haで最大貯水量は9960万トンとけっこうな巨大ダム。建設前は、当然の事ながら激しい反対運動もあった。温泉が枯れない方が不思議がして当然であったと思う。そして建設後、奇跡的に温泉は枯れなかった。逆に結果論だがそれなりに恩恵があったと思っている。泉源の上流にダムが出来たお陰で泉源となっている河川の水位が天候に関係なく安定しているので温泉の噴出量も変わらない。自噴の泉源を持つ多くの温泉場が河川の水位で影響を受け洪水時などは温泉が使えない状態があるが湯原の場合、このダムのお陰で余程の大放流がない限り影響を受けないのだ。また良くも悪くもダムと露天風呂という景観は、湯原温泉の顔となっている。昭和30年代には「ダムと出湯の郷、湯原温泉」というキャッチコピーで売り出していたのも事実だ。しかし世界全体の気象や環境が激変している中で果たしてこのダムが湯原温泉や下流の町々にとって今までのように守り神でいられるのか不安も出てきた。ダム直下に住む我々は、今までのように人任せでは済まない。今後は、積極的にその管理に口出ししていく事が必要と思われる。


                 2007年 6月号

81:賑わいの創造 その2
昨日、待望の本格的な足湯と手湯が完成し市長も参加しての注湯式が行われた決して大きくはないが足湯と手湯が同時に楽しめ、しかも景観が素晴らしい場所に作られた。湯街の中心という事で賑わいの重要なコンテンツとしての期待も大きい。この足湯の建設に呼応して対岸の名勝「鼓岳」のライトアップも別の事業で数日前から行っている。さらに鼓岳のいわれの看板も設置し湯街の中心地らしさが出てきた。  ところで温泉街の賑わいとはどんな物なのだろうか?二昔前のイメージならば宴会後のおじちゃん達が夜の町に繰り出してスナックや赤提灯が賑わう様子の事だろう。今でもそのイメージを抱いている人達も多い。しかし果たしてそれで良いのだろうか?お客様の層は、明らかに変化している。圧倒的に昼のお客様が多いのは事実だがそのお客様達が必要としいてる物が何なのか理解できていない。夜の町にしても同様だ。温泉地らしいお店が欲しいと空き店舗対策を行っている訳だがいったいどんなコンテンツを用意すればいいのか?お昼には、立ち寄り入浴の後、地域ならではのメニューを取り揃えた食堂、若者も興味を引く小さなミュージアム、コンビニも必須のアイテムかもしてない。今、私が実験的に行っているロンドンタクシーを使ったエコツアーなども工夫次第では古都の人力車と同じぐらいインパクトがあるのかも知れない。アウトからインまでの手すきの時間を時間を利用してのアンティークオルゴールのコンサートなど出来うる限りの事にも挑戦して町の賑わいの創出に努力してみるつもりだ。住民も立ち上がり新しい町づくりの動きが出てきた。従来の観光の視点ではなく、そこに住み暮らす住民の皆さんの町づくり多くの皆さんの参加を期待したい。 画像添付:2点


                 2007年 5月号

80:賑わいの創造
温泉街の明かりがまた一つ消えた。温泉街の真ん中にある店構えも立派な土産物屋さんだったが突然に閉店するという話が伝えられてきたのだ。高齢で後継者もなく余生は都会で暮らしたいと言う思いなのだとも伝え聞いた。予想していた出来事だが空き店舗対策など行っている最中だけにみんな危機感を強めている。ある意味、旅館の倒産閉館より温泉町全体の賑わいの部分では手痛い打撃なのだ。何とか組合で借り上げて運営する方向を提案したが当面は住まいとして使うので直ぐには話にならない。実は、この様な店舗を辞めて家が住居だけで利用されるパターンが湯街全体の賑わいを出したい全体の都合で言うと困る訳です。この先もこの様な空き店舗は確実に増える。これはもうどうしようも無い事のように思えてくる。過ぎ去った過去の賑わいを元に戻すとこと自体が間違った考えの様に思えてきた。別の視点で賑わいを創造する方法を模索する事も必要のようだ。町では数々の振興プロジェクトを行っているが賑わいと空き店舗に的を絞った振興事業を有志で行う事になった。行政との連携も不可欠なので連絡は密に行っていく予定だ。具体的には専任の事務局を置き、家主との交渉を腰を据えて行うとか、新規事業参入者への補助金のお世話など、また空き店舗の軒先を利用した屋台のお店の運営などのアイデアも取り入れる考えだ。また各旅館やホテルでもロビーを開放したりコレクションのギャラリーを開くなど若者の参加者から面白い提案もされている。さらに手足として動くスタッフを置き屋台などの直接的な運営やイベントの開催などにも柔軟に対応できる体制を整える。まだまだ絵に描いた餅だが温泉街全体が危機感を持った今がチャンスと世話人達は思っている。合併による再編で今まで口が出せなかった市の教育委員会が管理する資料館などが一度閉鎖され改めて民間に運用を任せる話もありこれらを拠点にする事も出来そうだ。今までの茹で蛙的状況から一軒の土産物屋さんの閉店がきっかけとなり大きく動き出す気運が高まってきた。このプロジェクト名は、湯原の光プロジェクト。夏までには成果が見えてくると思う。  我が家の前に湯原温泉としては、初めての本格的な足湯がまもなく完成する。今までも河川公園には3ヶ所の足湯があるのだが屋根が無く雨の日や冬季は使えなかった。この足湯には手湯に飲泉の設備も整った本格的?仕様となっている。湯街中央の施設だけに賑わいの核にもなってくれるものと期待している。この足湯から携帯でかき氷やコーヒーなど出前が出来る仕掛けやここで温泉道場を開くというのも面白そうだ。足湯でなごみのフォーラムなんてのも面白そう。


                 2007年 4月号

79:3月28日 温泉の未来の為にも森の復活を・・
温泉学会の西日本大会を湯原温泉でお受けする事になりました。3月28日に開催されます。昨年の秋に旅行ペンクラブの皆さんからお話しがあり現在、その内容について具体的な詰めを行っています。テーマは、「現在の温泉問題について」と言う事で決まりそうです。そこで物議になりそうなのが環境省が出した水質汚濁防止法。温泉の成分にも含まれるホウ素やフッ素が排出規制の対象となり暫定期間が終わる今年7月からは温泉宿もこの基準を守らなければ営業を続けられないという問題です。この水質汚濁防止法には多くの問題点があり、私的にはこのまま実行される可能性は、まず無いと楽観視しています。その理由として一つは、本来、化学工場などの公害対策から生まれた筈で温泉が人工的な加工製造作業に伴う有害物質の排出に当たるとは思えないという点、2つ目は、同じ温泉利用施設でも対象となるのは旅館業だけと言う点、3つ目は、自然噴出線も大深度削堀泉も同じ扱いという点。この矛盾だらけの法律がこのまま施行されるとは信じられないのです。ただ関心のない方には理解頂けない世界の話なのでアピールは、しっかり行う必要があると思っています。議論すべきは、温泉という自然の恵みを未来まで守る意味で環境問題について大いにすべきだと思っています。温泉の保護というと削堀問題もありますがそれ以前の大きな問題があります。山の中に住んでいると近年の環境変化に敏感にならざる得ません。温泉も元は雨であり森が無くなればいずれ枯れます。豊かな海を取り戻す為に漁師さんが植林を行っていますが温泉で活きる者も同じです。今湧いている温泉が1万年前に降った雨なのか100年前の雨か、はたまた昨日降った雨なのか、うちの温泉の場合その調査分析を行っていないので不明です。また川の伏流水という事ならばその純粋に汚染問題も大いに気になります。しかし何れにしても元は山に降った雨。重要なのは山の森という事になります。また森と言っても杉やヒノキばかりの人工林は非常に脆弱と感じています。椎の実やドングリなど実もならず、動物を養う力もなければ保水力も無い。事実、戦後の経済成長期に植林された山々は、今、無惨な状況になっています。樹齢50年の木々が少しの風雨でバタバタと正に根こそぎ倒れ、土砂災害の引き金になっています。保水力が無いので少しの雨で鉄砲水が流れてきます。先般、ゼロ・エミッション・フォーラムに参加した際、C.W.ニコルさんのお話を聞きその思いをさらに深めました。イギリスでは600年前に熊がそして400年前に猪が絶滅したそうです。日本は、人口が密集した先進国として、ある意味、例外的に自然の残っている国だそうです。しかし今、急激に環境が変わりつつあります。適切な対応し本来の自然に近い森を復活させなければ熊も猪も絶滅し温泉も枯れ、海も死んでしまうかも知れない。動物たちが生き残れる混合林の育成が急がれる課題だそうです。最近は、すっかりエコ叔父さんになってしまった私です。3月28日の温泉学会では、馬鹿な水質汚濁法の議論以前にこんな視点で話が膨らめば面白いと思ってします。ご興味をお持ちの方は、ご参加下さい。


                 2007年 3月号

78:ゼロエミッションフォーラムin真庭
 2004年に都市再生事業とトラディショナルの予算を頂いて温泉プロフェッショナル養成事業を行いました。ソフト事業なので形に残る物としては、計画書と温泉指南役の養成と「あとなんだっけ?」程度、何故なら良い計画もお金が無いと実現出来ない事ばかりだったり、既存の資料館の使用目的を変更する物だったりと気長に取り組まなければならない事だったので資料を取り出さないと思い出せないのです。小さな旅館組合とは言え直面する事業も多く特にここ数年は合併した市に組み込まれてから観光行政も少々複雑化してそれへの対応に慣れるのに精一杯という状態が続いてます。ところが昨年末あたりから様子が変わってきました。まず本書でも度々ご紹介させて頂いたバイオディーゼル。天ぷら油の燃料化事業も元ネタは、温泉の湧く川やその源の山など環境問題から派生した事業だった訳です。そして今度は、その時膨らませた夢を実現できるかもしてない話が持ち上がってきたのです。地域再生計画に乗れるかも知れない。今まで半分は諦めていた事が実現できるかも知れないと思えてきたのです。さて困ったのが人手不足。この追い風を受けるには作文やら何やらみんなの考えをまとめて絵を描き行政と調整を行う事務局的な人手が必要なのだが、現状は今までみんなを誘い出し帆船に乗り込んで船出したものの大海のまっただ中で風が吹かず、ひたすら汗を流し励まし合ってオールを漕ぎ続けていたところにようやく風の気配が感じられ出した。今こそ帆を張り目標を定めて一気に船を進める時。ところが世の中そんなに甘くない。いざ帆を上げようとしてみたら綻びだらけ、さらに船底からは水まで漏れていてそれの汲み出しや修理に人手を食われて帆を上げ操る人がいない。誰か手伝ってくれる人は居ないでしょうか?これから湯原温泉は、面白くなりそうなんですけどね。しかし仕事も滅茶苦茶多い2月23日には国連大学のゼロエミッションフォーラムが湯原温泉で開かれます。3月には温泉学会の西日本大会とイベントも目白押し毎年の事ながらハードな年度末になりそうです。


                 2007年 2月号

77:正月旅行は何故減った?
 明けましておめでとうございます。本当は、年末には出稿しておかなければならなかった原稿なのですが正月五日に書いています。電話では担当さんから原稿の矢のような催促。この号の発売が遅れたらその理由は、私の所為だと思って下さい。せっかく締め切りオーバーの原稿なら正月のリアルな温泉町の状況について書かざるえまいと言う事でレポートします。今年の年末年始のお客様の入り込みは最悪でした。一昨年あたりから直前にならないと予約が発生しない傾向がありました。昨年は、当日でも空室があり冷や汗ものでしたが飛び込みのお客様で何とか満室になったという状態。そして今年は、三が日に空室を出してしまうような有り様となりました。あれこれとその理由を考えています。まず一番には、努力不足。正月は満室になるものとプランやイベントに工夫をまったくしていなかったとか点を素直に反省しています。年末に昨年夏に流失した町の名所「砂湯」の復旧が行われ奔走していたので自社の事は殆ど人任せ状態とこれはこれで言い訳を考えています。他の地域の様子が今のところよく判らないのでここから先は推測に過ぎないのですが全国的にも、あまり良くなかったのではと想像しています。と言うのは外的要因も少なからずと思っています。12月当初にマスコミ各社が「ノロウイルス」の異常な感染拡大を報じていた事。年末には全旅連の厚生労働省への働きかけのお陰で新聞の記事から姿を消しましたが、それまでは高齢者の死亡事例等も報道され緊急事態とも受け取れるようなマスコミの取り上げようで、これなども旅行を控える一因になった様な気がします。例年なら「嘔吐下痢症」が流行ってるから気を付けましょうね。と言う感じで済んだものが一般的には聞き馴染みのない「ノロウイルス」と言う言葉に変じまるで鳥ウイルスやSARSの様なパニック的な報道だったように思います。これが年末年始の人出を少なくさせたのでは無いでしょうか。またもう一つの要因として地方都市部での12月始めにスタートした「地上波デジタル放送」が原因という事も考えてます。このタイミングでの地デジ開始は、大晦日の国民的行事「紅白歌合戦」を家族揃って高画質の地デジ放送で見たいというお父さんやお母さん方の気持ちを揺すぶったに違いない。その結果、年末のボーナスを家族旅行から地デジ対応大型テレビの買い換えに消費され家族旅行が消滅したと言うような事も有り得るかも知れない。まぁいずれにしても想像であり自分の営業努力の至らなさを他にすり替えているに過ぎないのですがね。個人所得が充分上がっていれば両方に振り向けられるのでしょうが景気の回復もそこまでは上昇していないという事なのでしょう。さてさて今年は、どの様な年となるのでしょうか。パソコンの買い換えブームの予感もありますが地デジ対応テレビほど家計には影響しないと予想しています。皆様にとりまして良い年になりますように・・。


                 2007年 1月号

76:ふだん着の温泉 撮影記
顔なじみのNHKの記者が突然久方に訪れた。天ぷら油の燃料化事業や温泉指南役などで度々取材に来てくれている方だった。今回は、ホノボノとした「よしいくぞう」さんの歌でもお馴染みの地域密着型の番組「ふだん着の温泉」の取材をしたいという申し出だった。七月のダムの放流で流失した我が町自慢の共同露天風呂「砂湯」の復旧を住民総出で行ったのだがその様子を他のニュースで見て温泉を観光客の視点ではなく住民の目線でその関わりを取材したいというのだ。それならばあえて観光客には開放されていないいわばバックヤードの住民だけが利用できる温泉を取材してみるのも面白そう。地元では洗濯場とか川湯と呼ばれている生活に密着したお風呂がある。それを取材してみるのはどうだろうと提案してみたのだ。はたして初めて洗濯場がテレビで紹介される事になった。この川湯は、川沿いの観光客からは目の付かない場所に隠されて作られており、湯街のあちこちにある。昼はご婦人方が井戸端会議ならぬのように足踏み洗濯で賑わい、夜は、住民の方がお風呂として利用している正しく「ふだん着の温泉」そのものだ。しかし取材に入ってみると住民から取材拒否に困惑する事になった。観光客には開放されていない部分だけにそれが放送されると困るというのだ。もちろん放送時にはその旨は考慮すると説得はしたのだが三ヶ所で断られてしまった。結局、うちのホテルの前の大きな岩を利用して湯船が作られテントで覆った川湯とそこを利用されている住民の方の交流にスポットを当てて番組作りを行う事となった。主人公は、裏の酒屋のご主人とその家族と言う事でその家族の生活に密着取材する事となった。取材は、七日間に及んだ。酒屋のご主人は、酒の配達など仕事に精を出しながらも合間に野球チームに入っている小学生の息子とキャッチボールをする親子。試合に送り出すのに頑張ってもらいたいと願いを込めて弁当を作るお母さん。試合に臨んだが力及ばず敗退した息子。しょんぼり帰ってきた息子を父親は、川湯に誘い何気ない会話の中で励ます。レギュラー選手で出られなかった悔しさ、代打で登板したが三振に打ち取られたクチ落ちさ、川湯に浸かりながら交わされる親子の会話に都会では忘れつつある住民と家族が一体となったホノボノとした会話が繰り広げられる。先日放送されたが狙い通りホノボノとした良い番組に仕上がっていた。温泉地にあって観光客が立ち入れない温泉の存在する事。いわば温泉町のバックヤードであり飾り気無いある意味で本当の温泉町の姿であり温泉の文化や歴史が滲み出る場所なのだ。この川湯をテレビを通じて紹介頂けたことで温泉町の奥深さがご理解頂けたと思う。久しぶりに清々しい気持ちで取材に協力できた。この番組は、深夜や早朝、またBSなどで度々再放送されます。是非、ご覧下さい。


                 2006年 12月号

75:ハウルの動く城
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説、「魔法使いハウルと火の悪魔」を原作とした宮崎駿監督によるスタジオジブリのアニメ映画「ハウルの動く城」、魔法と科学が混在する、近代のような世界。遅ればせながらその映画に嵌っている。私の場合、物語その物というより、「その映画のシーンに登場するメカニックな物(例えば、蒸気エンジンの車)や摩訶不思議な機械(例えば、ハウルの動く城その物)の動力は、何をイメージしたのだろうか?」と言う部分で引き込まれた。バイオマス事業の関連で木屑を燃料にしたタービン発電機や暖房用として木質ペレットのボイラーやストーブが地域で次々と導入されているいるのだが、これだけでは当たり前すぎて芸がない。何か面白い物はないか、と探していた時にこの映画を見て閃く物があったのだ。ハウルの動く城が壊れ掛けた時、まるでゼンマイ仕掛けのようなバタバタした動きになるのですがそれにそっくりな動き方をするスターリングエンジンを見つけたのだ。スターリングエンジンは、ボイラーの爆発事故が続発し死傷者が後を絶たない状況にあったスチームエンジンに変わる安全な動力として1816年に牧師であったスコットランドのロバート・スターリングが発明した温度差で気体が膨張圧縮される特性を利用したエンジンで画期的な発明だったのだが普及し始めた直後にパワフルな内燃機関のガソリンやディーゼルエンジンが発明された為、幻のエンジンと呼ばれ忘れ去られていた。それが今日、地球温暖化が大問題となり二酸化炭素の削減が求められる中で燃やす事の出来るあらゆる燃料が利用できたり、エネルギー密度の小さい温泉など自然エネルギーからでも動力を取り出す事が出来る事から古くて新しいエンジンとして注目されているのだ。とりあえず2種類の模型を購入してみた。アルコールランプで動く真鍮製のエンジンは、M字型に取り付けられたクランクの動きがとてもコミカルでその動きは、「ハウルの動く城」を想沸させる。手平の上で体温の熱と室温との温度差という低温度差で動くエンジンは、50度の温泉が豊富にある湯原の地域の人々にとって、このエンジンの可能性を現実的な物として認識して頂ける良い教材となっている。深い山里の地にあって林業が主要な産業であり、製材で出る木屑は大量に焼却処分されていた。現在、その木屑は、木質ペレットに加工されて容易に輸送でき燃焼時の火力コントロールも容易なのだ。湯原温泉のある真庭市でのペレット生産は国内の70%を占める量となっている。安価な燃料として安定した供給が受けられるのだ。温泉も掛け流しが基本なので40度程度の排湯が大量に捨てられている現状だ。2種類のスターリングエンジンを何とか実用化させそれで生まれたエネルギーで湯原温泉をハウルの動く城にしてみたいと思っている。

   


                 2006年 11月号

74:ピタゴロスイッチ
 NHK教育放送の子供向け番組で「ピタゴラスイッチ」と言うのをやっている。その中で「ピタゴラそうち」という部分があり身近にある雑貨や玩具の動きを連結させた動きにして遊ぶ。例えば玩具の車が走ってきて箱を倒すとビー玉が転がる。そのビー玉が机から落ちると下に置いてあった定規のシーソーに当たり、勢いで消しゴムが飛んでいき籠の中に入る。籠は滑車の付いた紐でぶら下げられていて飛び込んできた消しゴムの重みで滑車が回り別の紐を巻き取り旗が揚がる。実際には、もっと複雑な動きを連結させているのだが見ていてとても面白い。  この番組を見ながらフト思ったのだが私達がやっているまちづくりの一連の事業は、まさしくこのピタゴラスイッチのように繋がった動きの感じられる。物語になっているのだ。 まず最初に起こしたアクションは、「何処に行く湯原温泉」と銘打った温泉街の方向性を見据えるビデオ作成から始まって→露天風呂番付の発掘と宣伝グッズとしての活用→それを広める為の「露天風呂の日」イベント開始→温泉町に暮らすなら温泉に詳しくなければならないと言うところから「温泉指南役養成事業」→結局のところ温泉は健康づくりであり癒しだと言う事で人間ドック付き宿泊プラン「ホットドック」→せっかく指南役がいるのだからお客様に聞いて頂ける場所と言う事で「温泉道場」→温泉に拘る裏付けとして検証できる場所も必要・・で「温泉資料館→さらに温泉について突き詰めていくと「温泉は自然の贈り物」→であるならば海の漁師が山に木を植えるように我々も環境問題に積極的に関わる必要があると言う事で→まずは手近なところからと川を汚さないように「天ぷら油回収事業」→その燃料なら排気ガスが綺麗なので地域環境が良くなると送迎車を走らせる「バイオディーゼル燃料事業」→これらの流れをお客様にも知って頂こうと「エコ観光ガイド」→見渡せば地域でもバイオマスをやっているじゃあないか、それならドッキングさせようと「産業観光」に参加するしよう・・と言うような流れで話はドンドン進んでいく。それぞれ個別の取り組みもそれなりに目立ち社会から注目もされた。またそれらは今でも継続して行っているし枝葉もついて賑やかになっている。さて次は何をする事になるのだろうか?当面、急がなければならないのは温泉街の空き家対策、旅館が何とか引き継いでいっているのだが飲食店や土産物屋さんが寂しくなっている。住まいも兼ねている家が多いので借り上げて店を継続させるのも難しい。何とかこれもピタゴラスイッチの一部に組み込んで動かせれば面白いのだが。「風が吹いて桶屋が儲かる」次元では面白味に欠ける。何とか知恵を絞って繋がりのある町づくりを行いたい物だ。ホテルの前の消防団の機庫が移転する事になった。通常は、ガレージが降りた状態なので移転後は、何かに使えないかと考えている。川沿いで景観が良い場所なのでここに足湯が良いのではないかと思っている。足湯は、今も4ヶ所あるのだがいずれも河川にあり屋根付きの足湯がない。休憩所にもなるし景観もバッチリ、さっそく市に提案書を出す事にしよう。  

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2006年 10月号

エコでバイオな産業観光
 木造の古い小学校の校舎がその温泉町の観光資源の一つになっている。統廃合により今は、市役所の支所となっている。校庭に立つ二宮金次郎も健在だ。  山間にあるその町は、町村合併により市となったが林業と観光以外とりたてて産業もない。森林資源が豊富と言えば聞こえが良いが見渡せば山ばかり、森林しか資源が無いと言えなくもない。市の中心地域には多数の製材所があり、モクモクと木くずを燃やす煙がたなびいている。木くずは、その製材所で焼却される木くずは、年間180万トンもあるという。温泉町の総湯量が年間305万トンだから、ここでの製材事業が如何に盛んか想像できると思う。この木くずが今、まちづくりに役立っている。市は、国のバイオマスタウンの指定を受け、この木くずを利用した色々な製品やエネルギーを作り出している。Yahooショッピングで一躍人気商品になった「ネコ砂」や癒しの香料として人気のある「ひのき油」、コンクリートの10倍の保水力があり都市のヒートアイランド現象の対策に使われる木質コンクリートブロックなどが製品として作られている。エネルギー分野では、木くずを粉砕、圧縮して作られる木質ペレットは、ストーブやボイラーの燃料として使われるが、国内の7割がこの町で作られている。またガソリンの代替え燃料として使われ二酸化炭素削減の切り札とも言われているエタノールの実証プラントもある。このエタノールも木くずを糖化して発酵させ製造されるものでサトウキビのように食料に利用されていた物を振り向けるのではなく廃棄物から生産できる燃料である為、注目を浴びている。  これらの事は、一見したところ観光とは無縁だが視察の受け入れという新たな産業観光の道も開かれた事となった。昨年は、2万人が訪れている。しかし温泉街を単なる産業観光の宿泊地としてしまったのでは、面白くないし昨今の地方議員先生の乱行問題で視察地として温泉地は敬遠される傾向もある。あえて温泉地に泊まらせるには、それなりの理由がいる。そこで始めたのが廃食用油をバイオディーゼル燃料にして送迎車を走らせる試み。バイオマスタウンの一翼を自ら担う事業を行う地域としてアピールする事。  バイオディーゼル燃料(BDF)事業は、地域の理解も得られゴミステーションでの回収も行われるようになり温泉地域から他地区に拡大を続けている。  視察の皆さんへのBDF事業の説明会は、校舎の2階で行われる。ノスタルチックな雰囲気の中で、ゼロエミッションの温泉は自然からの贈り物であり環境に配慮するこの事業は、自然への恩返しと説く。なかなか良いシティエーションなのだ。


                 2006年 10月号

73.エコディーゼル燃料「EDF」その後U
 最近は、インターネットの宣教師から「エコおじさん」になってしまった。うちの組合のバイオディーゼルと製材所の木くずから作られる木質ペレットや燃料の木質エタノールの実証工場など視察が次第に増えてきたのだ。俗に言う産業観光と呼ぶコースだが、その中にしっかりと組み込まれている。主に地方自治体の議員さん達の視察だ。  8月の原油の値上がりにより軽油の値段も125円まで高騰、天ぷら油を精製した代替え燃料「EDF」は、普通、軽油に20%混ぜた「B20」と言う規格で作られている。その場合、32円程度の軽油税が掛かるので通常の軽油との価格に大きな差は発生しない。ところがうちの場合は、「B100=100%」で利用しているので軽油税は掛からない。現在、1リットル75円で組合員にのみ利用してもらっている。軽油の高騰で50円の価格差が出てきたのだ。旅館組合としてこのEDF事業を始めた目的は、「温泉は自然の恵みであり、EDF事業は自然への恩返し」という「エコロジー」と言う視点であったのだが、同じエコでも「エコノミー=安い燃料」という次元で飛びつかれたのでは面白くない。特にテレビ等で取り上げられる都度、視聴者から「安い燃料を売ってくれ」と問い合わせがあり少々戸惑っている。とは言うもののお陰で地域での認識は高まった。8月からは、市の協力で地内28ヶ所のゴミステーションに廃食用油回収の為の容器が置かれた。そこでの回収状況も順調で当初予定の月一の回収では間に合わず早々に満杯になり急遽、回収に赴く必要が生じるなど供給面でも拡大している。非常に結構な話なのだがここまで話が広まるといつまでも旅館組合だけの事業という訳にいかなくなってくる。来年には、EDFも規格化されると言う話もあり、今後はその点を睨みながら方向転換して行く必要もありそうだ。  エコロジーの視点では、もう一つ面白そうな事ができそうだ。EDF精製の過程に置いてアルコールを使用するのだが通常メタノールが使用される。これをエタノールに変えて精製する案だ。メタノールは、石油から作られておりエコロジーの視点から少々面白くない。地内には木質エタノールの実証プラントがありそこで製造されるエタノールは純度99.8%なのだそうだ。EDF精製時に水分は大敵でアルコールの純度が悪いと精製できない。通常流通しているエタノールは純度95%程度の物であり、これを利用する為には特殊なフィルターで純度を上げる必要があるのだが木質エタノールだとそのまま使用できる。この木質エタノールは現在、市の公用車の燃料としてガソリンに3%混ぜられた「E3」として利用され走行試験を行っている。これをバイオディーゼル燃料にも使わせて頂こうと提案しているのだ。これがかなえば100%バイオと言い切れるEDFとなり地域内で連携した新たな試みとして全国初の事業と言える。


                 2006年 9月号

72.水害復旧
   25年ぶりのダム大放流
 今から50年前の町のキャッチコピーは、「ダムと出湯の里」と言う物だった。ダムの直下にある露天風呂は、町一番の名所でありダム(堰堤)をバックにした露天風呂の風景が今でも湯原温泉の顔であることに違いない。このダム、滅多のことでは放流しない。3年とか5年に一度とかにあるかないかだ。今年7月の長雨には、さすがに支えきれず一気に大放流が行われた。1秒間に300トンの放流に通常の放流なら流される事のない露天風呂の屋根や脱衣室までまるごと流れた。放流は、2日間続き川の汚れを根こそぎ流した。放流が終わると急激に水が引いていく。町の世話役が広報車で「みんな集まれ!」と呼びかけると大人達は、スコップや鋤簾を担いで繰り出し土砂で埋まった露天風呂を掘り出したり生活の中で利用している地域の湯場の復旧に精出す事になる。子供たちにとっては放流後の川辺は、絶好の遊び場となる。河川の駐車場や足湯の場所の植え込みの土砂は流され大きな窪地があちこちに出来ている。窪地には、澄んだ水が残り虹鱒や鮎など多くの魚も取り残されている。ウナギや鯰もいる。魚の「つかみ取り大会」だ。歓声があちこちで上がる。足湯に出来た窪地には大山椒魚がぞろぞろと出てきた。子供たちが救出し川に戻していく。中には70センチ級の大物もいた。暫く姿を見かけなかった大山椒魚(はんざけ)の出現に自然の逞しさを感じ川に戻す子供たちに優しさに嬉しくなった。一方、露天風呂の掘り出しに参加した大人達は、懸命に復旧作業に精を出す。重機を入れるとつややかな岩肌に傷が付く為、全て手作業で行われる。さすがに大勢の力は、大した物で数時間後には、元の露天風呂に甦った。変な人為的な構築物が無いだけ自然な感じがして良いと意見が一致。暫くは昔のように岩の上に脱衣しての入浴を楽しんで頂こうという事になった。


                 2006年 8月号

71.若者のありがたさ
   総力戦、学徒動員。
 昨日、温泉街の総力を挙げて行っている「6.26露天風呂の日」が無事終了した。今年で20周年を迎える大イベントだ。このイベントには湯原温泉が持つあらゆるコンテンツを投入する。僅か一日のイベントだが町を挙げての総力戦になる。商工会の青年部、女性部、旅館組合の青年部、女将さんの会などが祭りの中心だが準備段階での清掃活動などには小中学生からなるスポーツ少年団やシルバーの皆さんも協力して下さった。式典では保育園児らもマーティングで参加頂き華を添えてくれた。旅館の面々は、このイベントの一番の魅力となっている内湯の無料開放で訪れるお客様のご接待、飲食店もそれぞれに工夫を凝らした弁当の販売や店先での賑やかし、シルバーの皆さんもゲートボールやグランドゴルフを記念大会という形で開き盛り上げてくれている。行政の皆さんも駐車場や交通案内、記録係などで頑張ってくれている。この様にあらゆる内容のイベントが同時進行する形なので町の瞬発力が求められる。そこで新たなる戦力として地元大学の学生達に観光ボランティアとして参加頂くことになった。以前から教育実習で協力させて頂いている岡山商科大学の学生さん達に青年部の配下として参加頂いたのだ。人員は、引率教員2名、男子学生3名、女子学生4名でした。前日から入りテント張りや机椅子の配備、当日は、朝四時半には起床して儀式に参加し大雨の中、露天風呂の清掃や風船づくり、その後は、本部やバザーの手伝い、最後の片づけまで終日レスポンス良く動いて下さった。一番嬉しかったのが学生達の参加で町が吃驚するぐらい若返ったのだ。街角のあちらこちらで部署を守るスタッフの面々、何かのテレビコマーシャルではないのだが、ある意味慣れてしまっている地元のスタッフの中に若い学生が数名入るだけで雰囲気が変わってくる。やはり若者が町をリードすると言う事を実感したイベントとなった。ありがとう露天風呂、ありがとうスタッフの面々、ありがとうお客様。今年は、イベントに対するアンケートに苦情は、一件も無し、スタート時、大雨でお客様は、昨年より少なかったとは言う物のその分、満足度は高く内容の濃い良いイベントが出来たと自負している。 PS:イベント:ロンドンタクシー大活躍 「露天風呂の日」には、旅館組合のEDF事業説明コーナーも設けた。そこでは燃料の製造工程の説明を行い、ロンドンタクシーに体験乗車して頂いた。休ませる間もない程の人気コーナーになり説明用員に科学に強い学生を増員したり、運転手も整備担当者を増員するなどてんてこ舞い。EDF事業も真庭市全体で行うバイオテクノタウン構想に組み込まれ視察の対象ともなりました。


                 2006年 7月号

70.深刻な山の荒廃
 湯原温泉は、狭い谷間の温泉街なのでどこも間近に山が見える。山を眺められると言う程度ではなく山の木々の一本づつがそしてその枝に留まる鳥たちの営みまで見える。山との狭間にある川の様子や生き物の様子まで日々の変化が季節や日々の変化の中で見て取れる。近年、大きく山や川が荒れている。川は、雨が降ると見る間に増水し雨上がりには石ころの河原が広がる。そして生きた木まで流れてくる。山の治水能力が無くなっているのだ。少しの雨で鉄砲水が出てくる様ではここに住み生き物たちも居心地が悪かろう。特別天然記念物のオオサンショウウオや河鹿蛙は、どうしているのだろう?ホタルの餌のカワニナもごろごろと流れる岩では住みにくいだろう。数年に一度はやってくる集中豪雨も川がこんな状態では過去の経験以上の惨事になりかねないと憂える。重要な観光ルートも度々土砂崩れで封鎖され入り込み客数に重大な影響を与えている。同じ場所が範囲を広げながら繰り返し崩れている。大雨が降った訳でもない。「今日の雨は、よくふったなぁ」程度の雨で山が崩れる。崩れた現場の上部の木も根が浮き傾いている。このままでは梅雨に入ればこの先も崩れ続けるだろう。何故この様な事態になったのか?調査員の言葉に唖然とした。「ヒノキや杉など植えてはいけない場所にまで植林した結果がこれですね。」戦後復興の為に大量の木材が必要とされ今まで雑木しか生えなかった急な斜面や岩山での少しでも土が有れば植林された。植林されたヒノキや杉が小さな時には問題なかったのが50年の年月で条件の良くない場所でもそれなりに大きくなった。しかし針葉樹の根は、思った程広く深く張らないのだ。幹や枝葉に比べて根が浅く狭いので大風が吹くと木が揺さぶられ根が岩盤などから浮いてしまうのだ。そこに雨が降ると表層雪崩と同じ理屈で地崩れが起きる。その様な理屈だそうだ。多くの人を悩ませる花粉症も植生を無視した利益優先の農林政策の結果であるが一見自然災害と思われていた土砂崩れも実は、災害でなく人災と言えるかも知れない。製材業者が多く林業関連を中心に据えた杜市作りを進めようとする我が市ではあるがもう少し自然にお伺いを立てた施策をとらないと失敗を繰り返すだけになりそうだ。先の土砂崩れの場所では通行通の自家用車が巻き込まれて死亡した事故や復旧作業中の事故ですでに3名の人命が失われている。一昨年の台風23号で山一面の木がなぎ倒され無惨な姿をさらしている景色は、さすがに減りつつあるがその同じ場所に倒れた同じ種類の建材用の木々を植樹させる為にしか補助金を出さないという国の施策は、馬鹿としか言うほか無い。建設土木と農林の連携のなさも人災の一因となっている。山にブナや楓実のなる木があり小鳥が枝でさえずる様は、気持ちが休まる。ヒノキや杉が植えられている山を見るとムシャクシャしてくる。春先に杉が風に揺らぎ花粉が舞いる様を見ると雷でも落ちてあの杉林が燃上がって消えてしまう事を密かに願う。市政で森林関係の話が耳にはいると無策を罵り夜叉になる今日この頃の私です。


                 2006年 6月号

69.GW大型連休って、誰がなのさ?
 今回は、話のネタが思いつかず原稿の締め切りも大幅に遅れ焦りまくってゴールデンウィーク真っ最中に原稿書いてます。一言書いたら電話の対応で中断という状態が続いており文脈がズタズタで何度も書き直しています。その間もひっきりなしに問い合わせの電話が掛かってきます。今年のGWは、異常に電話での空室の問い合わせが多いです。その内容は、こんな感じ、お客様「GWに行きたいんですが空室ありますか?」、私「ございますよ。何日がご希望ですか?」、お客様「5月3日か4日なんですけど・・」、私「申し訳ございませんがご希望日は満室になっています。」、お客様少し憤慨したご様子で「GW空きが有ると仰ったじゃないですか」。私「GWも今年は期間も長いですからお申し出の日にち以外でしたらお部屋もご準備できるのですが・・」、お客様「そうですか、ガチャ」。このやりとりが延々繰り返される。テレビでは大型連休で長期の海外旅行に出発する家族連れが映し出されています。4月29日から5月7日までの9日間がGWなのだとムードを煽り立ててます。しかし実際にこの9日間連休になる人たちってどの様な方々なのでしょうか。工場の製造ラインに携わる人たちぐらいしか思いつかない。結局、ほとんどの人々はカレンダー通りの休日で後は通常通り働かれているように思えるのです。それ故に予約は、後半の5月の3日から5日に集中していると思うのです。ここ数年の温泉町の不況ネタがマスコミで流れ植え付けられていて「温泉宿は、いつもガラガラ、直前に電話で予約できる」と言うイメージも有る様な感じはするのです。その結果「インターネットなど面倒なモノを使う必要もない、古い旅行誌で探せば何とかなるサ」と言うことか?等とあれこれ電話の多い理由を推測してみました。数人のお客様からその理由を聞き出す事が出来ました。「GWは、ごろ寝を決め込んでたんだけど女房にせがまれて・・」とか「仕事の関係で休みの日程が直前まで決まらず・・」とかの理由が主なようです。また中には「どうしてもお宅の宿に泊まりたくてネットで何度も確認してみたけれど空室が出てないので電話してみた」と仰られる嬉しいお客様もおられたり理由は様々ですが、限られた休日の中で宿泊予約を試みあれこれ手を尽くされて最後の望みを直前のキャンセルでの空きに託されてお電話を下さっているのだろうと勝手な結論を出してみるのです。そうであるならば一つずつのお電話に誠意を持ってお答えしなければと思う訳です。余裕が有れば組合のホームページで他の宿の空き室も確認しお知らせしてみたり、立ち寄りの入浴プランをご案内してみたりと試みるのですが多くは「満室」の一言を発した途端にガシャッと電話を切られる場合が多くその思いは、なかなか伝わらないのが実情ですが。こういった状況の時に最後に思うのは、この電話の何分の一でも普段掛けてきて頂けたならばありがたいと言うお決まりの思いに落ち着く訳です。 以上、連休実況中継でした。  


                 2006年 5月号

68.HP閲覧のお客様が電話予約になる理由
 最近、お客様は、ホームページをご覧になりながら電話予約されてくる「ながら予約」が多い。予約は、まだ良いのだがこの状態でお問い合わせを受ける事になると長電話となり、担当者を煩わせている。お客様にホームページに通常必要な情報は、掲載している旨をご説明するのだがどうやら「見るより聞いた方が早い」と言うノリで電話されてこられる様だ。実は、お客様は、電話されるまでには色々なメディアや場合によっては口コミでそれなりに情報を得られている場合がほとんどで、さらにネットでの情報もいろいろご覧になってインターネットでの予約方法もよくご存じなのだ。それでも電話で予約や問い合わせを行うのは、あまりに多くの情報を得られた為に混乱されているようなのだ。中にはじゃらんや楽天などで宿を選んでいる時点で他の施設の情報と混同されておられる場合も見受けられる。お客様ご自身もある程度その事は認識されており、その結果として直接電話で確認しながら予約する、または問い合わせをしてくると言うパターンになっているのだと私は、推測している。ここに辿り着く過程も千差万別で「じゃらん、るるぶ、まっぷる」等の雑誌から選んでインターネットで検索しオリジナルホームページに飛んでくると言う比較的ストレートな場合もあれば、雑誌→予約サイトA→予約サイトB→予約サイトC→オリジナルホームページ、と言う経路もある様だ。この予約サイトABCでは、価格やプランの比較をされていると思われる。雑誌では古い情報を見ている場合もありえる。その場合は、新しい情報を得ようとネット検索する事になるだろう。また宿の選択以前に観光ルートや宿泊地そのものの魅力を比較してwebサーフィンしている場合もあるだろう。いずれにしてもお客様に立場になれば、それなりに長〜い経路を得て私たち宿のホームページをご覧下さっている訳だ。その宿屋のホームページは、お客様にとっては、実際の旅行と同じ感覚で終着点「ゴール」と言う訳なのだ。  ほっと一息ついて宿の案内ページをご覧になる。イザ実際に予約しようと言う段になった時、子供の料理やお部屋の備品など、ホームページ上で見ればどこかに書いてあるのだろうが聞いてみたい事がいくつかある(沢山ある場合は、たーいへん)メールで問い合わせるのも面倒だし「電話してみよう、ついでに予約も」という事になるのだろうと思っている。インターネット上で完結するのがダブルブッキングも防げるし、何より宿の立場では手間が要らないのでありがたいのだが、お客様側から見れば値段に差がなければ雑誌だろうがネットだろうがみな同じ感覚なのだろうと思う。インターネット予約を特別扱いする時は終わったと思っている。


                 2006年 4月号

67.温泉道場とロンドンタクシーのその後
・温泉道場
 2月の温泉指南役養成セミナーで10名の新たな指南役が誕生した。これで延べ70名の指南役が温泉街の各施設で活躍してくれることになる。この指南役達の新たな活躍の場として温泉道場を開設した。毎週日曜日に行い宿泊客ばかりでなく日帰り入浴のお客様をも対象にしたこの道場で指南役達に交代で実践して頂き腕に磨きを掛けて頂こうというもくろみだ。場所は、温泉街の外れにある入浴施設を併設した道の駅、ここでお客様を相手に60分、温泉の蘊蓄を語りお客様に温泉の知識を伝えると共に指南役自身の伝える話術を身に付けて頂こうというのがこの道場の目的だ。ろくな宣伝も行っていないので参加者は、まだまだ少ないのだが4月からは、この温泉道場を宿泊プランとして売り出す企画も予定されており、将来は、温泉街のコンテンツの一つに育て上げたいと考えている。少々地味な企画だが先が楽しみだ。

・ロンドンタクシーのその後
 BDF推進の立場としては、本当は言わない方が良いのかもというお話しなのだが。100%バイオディーゼル燃料(BDF:食用廃油精製燃料)で走行を始めて百五十q。トラブルが発生した。大きなトラブルでは無いがお客様の送迎中など重要な運用中に発生すると困るのでお知らせしておきたい。購入時十二万qを超えていたという中古車で利用したというのが一番の原因なのだが、BDFの洗浄力により今まで蓄積していた石油燃料の汚れが剥がれ落ち燃料フィルターが詰まったのだ。高速道路走行中に上り坂で突然パワーダウン。アクセルを踏み込むと濛々と白煙がマフラーから噴き出し後続車や対向車までも仰天する程の煙幕を作ってしまったのだ。最初はオーバーヒートと思いこみ路側帯に車を寄せて暫くエンジンを止めて再スタートを試みたのだが1キロも走行すると直ぐに同じ症状が出てしまい上り坂は断念。運良く対向車線の場所であったのでユーターンし近くのインターチェンジまで戻った。下り坂や平坦に道であれば問題なく走った。対処は、ガソリンスタンドで充分対応できる範疇でフィルターを清掃するだけの事であった。この事が判ってさえいればBDFに変更時、ある程度走行した時点で点検すればその後は、問題ないと思われる。くれぐれも申し上げておきたいが天ぷらのカスが詰まった訳では無い。フィルター清掃後、約千五百q走行したがその後、問題は起きていない。燃費は、14q/L。

トラベルニュース 2月

冬の集客の難しさ

この冬の雪によるキャンセルや予約の見合わせは、まったく持ってひどいモノであった。12月中頃から積雪がありクリスマスには完全なホワイトクリスマスとなった。イベントのキャンドルファンタジーは、雪の灯籠が造られ本当に美しく寒さを堪えながら参加いていても感激した程、素晴らしいモノであった。ところが肝心のお客様は、全国各地の大雪のニュースに恐れをなしキャンセルが続出してしまった。私たちの温泉街は、京阪神や山陽の雪の降らない地域のお客様が大半なのだ。しかも近年は若いお客様が多いので冬用タイヤなど持っている人は、ごく希だ。TVや新聞で東北や北陸の雪のニュースが流れる中で積雪の予想される観光地に予約を入れる訳がない。JRやバスなど公共交通機関が便利な所であれば雪景色も立派な観光資源となるのだが自家用車でお越しになるお客様が全体の90%という土地柄では大雪イコール、大量キャンセルとなってしまう。例年なら本格的な雪の季節は1月の後半から2月中なのでその期間のみ徹底したお客様への積雪情報のご案内や対策をとっておけば良かったのだが12月の大雪は、1月2月の冬全体の予約を凍結させてしまった。過去、空室など出たことがない年末年始すら空きが出た宿も多かった。 この事態に30件の宿が団結した。ホームページなどで「無雪インター」までの送迎を各旅館が連携して行うと言うモノだ。車でお越しになるお客様は、JRやバスと違いご到着時間がまちまちで一軒の宿で送迎を行っていたのでは大変頻雑な事態が起きてしまう。そこで各宿が時間帯を分けて送迎を行い他の宿のお客様も一緒に送迎する計画だ。インターの駐車場でお客様にお待ち頂く訳にはいかないので大きな駐車場を持つ喫茶店にお客様を誘導しそこでお待ち頂く事によって時間調整を図り複数のお客様をピックアップしていく作戦だ。しかしこの冬の早い時期の積雪は、温泉街の結束を強固なモノにしてくれた。みんなが危機感を持って団結してくれたのだ。雪を逆手にとったイベントの実施や今後の集客しベントなどアイデアが次々と提案されている。それも従来にない早さで実行されようとしている。急激な状況変化は敏速な行動を起こさせるという良い例となりそうだ。


                 2006年 3月号

66.ロンドンタクシー その2
湯町内の送迎用マイクロバスを天ぷら油を再生した燃料(エコディーゼル燃料:EDF)で走らせる。EDFのメリットは、●地球温暖化防止(CO2排出量ゼロアカウント)、●硫黄酸化物を90%以上カット、●黒煙を60%以上カット等があり、環境に優しい燃料です。湯町は、狭い地域内で各旅館の小型ディーゼル車が顧客や従業員の送迎で走り回っている。自然が豊かな場所だけに環境への配慮も重要と考える訳です。温泉街の場合、このエコディーゼル燃料の需要と燃料となる天ぷら油の廃油の供給バランスが他の地域に比べてとりやすいのです。しかし旅館の廃油だけでは足りません。旅館以外の湯町全体の皆さんや周辺地域にも協力頂いて重要と供給の問題は解決するわけです。ロンドンタクシーは、その啓発活動の走る広告塔として効果をあげつつあります。現在、地域の小中学校を訪問して子供たちを通じて家庭の廃油回収を進める運動を行っています。回収した廃油の代価を教育備品の購入費用に充てて頂こうという計画です。PTAからの協力も得られ事業は、順調に拡大しつつあります。さてその走る広告塔のロンドンタクシーですが100%EDFで走らせて発のトラブル発生です。町内での試験走行で特に問題もなかったので春からの観光キャンペーンの打ち合わせ会議にこの車で乗り付け利用方法を検討しようと勇んで無謀にも100qの遠出に挑んだのですが家から50q地点の高速道上り坂でパワーダウン、騙し騙し待機帯まで持ってきたがエンジンダウン。暫しエンジンを休ませて再スタート。しかし猛烈なまるで煙幕でも焚いた様な白煙をまき散らしながら少し走ってまたダウン。この坂は、もう登れないと諦めてUターン会議出席を諦めて修理工場に持ち込んだ。原因は、燃料タンクのフィルター詰まり、てっきりEDFが詰まったのかと思っていたがタンクの錆が原因とわかり一件落着。現在、整備工場でエンジン、燃料系をリストア中。春からの観光キャンペーン本番前に不具合発見でホントに良かったととりあえず安堵しました。しかし次は、どんな不都合が見つかるやら・・



                 2006年 2月号

65.産業観光とバイオディーゼル
   ロンドンタクシー買っちゃいました。BR 昨年の秋に湯原町旅館協同組合ではリサイクル事業の一環として各施設の天ぷら油の廃油を買い上げて精製しディーゼルエンジンの燃料に再生し温泉街内で送迎に利用する車に利用する事業を始めました。廃油の精製は、地元の環境事業に関わる事業所に委託しました。我々施設側は、廃油を1リットル:10円で買い上げてもらって精製されたバイオディーゼル燃料を1リットル85円で買い取り送迎車で利用します。冬季は、燃料がジェル状になる可能性が有ると言うことで送迎車での利用は、暖かくなる春からの予定でしたが年末の寒波でも実験用車両で問題なく利用できているので予定より早く希望する宿には燃料供給する事になりそうです。ところでこの事業は、各方面で注目されています。バイオディーゼルの精製や利用そのものは、観光地に限らず各地方自治体等でも取り組んでいる所が多いのですがイザ実際に行うとなると燃料としての需要に対して廃油の回収が思う様に行かない場合が多い様でテスト段階で挫折している場合が多いという話を良く聞いています。現在、当組合で月間400リットルが廃油として回収出来る見込です。さらに給食センターなどからの回収分が300リットル程度集まるので精製時の歩留まりがざっと9割として月間600リットルの送迎車の軽油代替え燃料が生産できる見込となりました。リッター当たりの走行距離は、軽油と変わらない様ですので六千q分と言うことになります。狭い湯街の中での送迎用には充分な量と言うことです。旅館からは、現在7台の町内での送迎車で利用してみたいという希望が出ています。また真庭市の公用車にも一部使って頂く事になっていますので需要と供給のバランスは問題ないようです。  さてこの事業の内容が知られるに連れマスコミや視察の問い合わせが増えています。特に私の町では木材チップを使ったエタノールの試験プラントや木質ペレットの製造工場もあり二酸化炭素削減や循環型社会へ取り組む先進地として注目されており、それらの事業の関連として当組合への問い合わせが増えています。今回のロンドンタクシーの購入も実は、その取材などへの対応の為です。バイオディーゼルを利用した送迎車を絵として露出させることも多くなるのですが普通のワゴン車を撮したのでは良い絵にならない。クラシックなロンドンタクシーなら絵柄も話題性も高いということです。これなら観光キャンペーンのコンテンツとしても利用できると考えた訳です。何分にも古い車ですので現在は車両整備中ですが2月には排ガスが天ぷらの匂いと言う楽しいクラシックカーが湯街を走り回ることになります。産業視察観光事業と言う新しい湯原温泉の取り組みの中で活躍してくれることでしょう。


                 2006年 1月月

64.只今、留守番中。人家住まいの煩わしさ。
 今日は、留守番を仰せつかっている。久方の休館に家族総出となり普段出張や会議で出かけることの多い私に家内から「たまにはお留守番もしてね!」の一言の申し渡しをされたのだ。ハイハイと二つ返事で引き受けたモノのあまりの煩わしさにうんざりしている。考えてみると一人で留守番をするのは、数年ぶりのことである。まず参ったのが電話である。掛かってくる本数は多くはないのだけれど何故か問い合わせや予約の電話は、同じ時間帯に集中する。一人しかいない時に複数の電話が鳴るとちょっとしたパニックになる。こう言っては何だが細かな質問に長々と受け答えをしなければならない状況や巧妙なセールスに切るタイミングを見計らっている時に別の電話が掛かってくる。セールスならバッサリ切れるのだが問い合わせだと切る訳にも行かず旨く保留にもちこんでその電話に出るのだが切れてしまう。予約の電話を逃がした様な気がしてならず落ち込む。さらに別の電話が鳴る今度は、組合関係の連絡だ。状況を簡単に説明し直ぐに切らしてもらったのだが最初に出ていたお客も度々の保留にご機嫌を損なう。正しく二兎追う者は、一兎をも獲ずと言う状況。さらに鬱陶しいのがアポ無しの訪問販売と宅急便。宅急便など一々判やサインをしなくても勝手に荷物を置いて帰ってくれれば良いのだが結構ウザイ。普段は何ともない事が一人でお留守番していると猛烈なストレスとなっている事に気付かされる。電話も来訪者も時折の事なのだがそれらへの対応が同時に発生する。昔、家内の母が私の宿を「人家:ひとや」だから性がないとぼやいていた。商売する場所が住まいとなっていれば常に人が訪れ電話が掛かってくる。さらに宿屋家業では自分の家であっても自分の空間なりプライベートが無い。義母は、それを称して「人家」と呼んでいたのだ。生まれた時からこれが当たり前だと思っていた。青年部などで他の地域と交流しだしてから宿屋でも別に自宅を持ち三〇分の通勤時間を作り出している人がある事を知った。私には信じられない事だった。確かに暇な時とは言え二四時間、人屋にいるのは疲れる。仕事中は集中し通勤時間で気分を変えてプライベートな時間に切り替える。そんな環境が理想なのだろうが我が家では難しい。さてお留守番もそろそろ終了。夜になり空虚な時間が訪れると今度は、寂しさが襲ってきた。食事の準備もお茶も誰もしてくれない。TV相手にインスタントのラーメンをすすりペットボトルのお茶を飲む。何とも侘びしい限りだ。帰ってきたら家族に恨み言の一言も言いたい気分なのだ。しかし休業日の留守番でさえこの状況だ。普段、営業している時に当たり前の様に家を空ける私に何も言う資格はありそうもない。帰ってきたら笑顔で「おかえり」と言う事にしよう。そして留守中は、何も変わった事は無かったと・・・。


                 2005年 12月号

63.宿六VSレジオネラ属菌
 ご同業の友人と「宿屋の主のイメージ」と言うテーマで雑談を交わしたのですが旅館のご主人には、どうもあまり良いイメージが無い。組合の会議と称する寄り合いで日々飛び回っていて「おまいら家の仕事は、やっとるんか?」とか言われても「はぁー」とかしか返事の返せない様なそんなお仲間が多いのも事実ですし私自身「頑張ってます」とか答えるモノの「お前が居なくてもとりあえず日々商売が続けられる」と切り替えされれば「確かにその通り」ですとすぐすごと他の話題にすり替えるほか無い様な感じなのです。あまり汗水垂らして頑張っているイメージは確かに無いのです。唯一誰もを納得させられる働く宿屋の親父のイメージとしては、デッキブラシやたわしを手にしてステテコ姿でお風呂掃除をしている姿という結論になったのです。  この夏、まさしくこのイメージが現実となり壮絶なお風呂と格闘する事になろうとは友人と会話した時には思いも寄らぬ事でした。  春に露天風呂を新しく作りました。和の雰囲気が欲しいと言う事でヒノキ造りにしたのですがこれが思わぬ苦労の種になりました。湯船の容量は約1トン程度で貸切で利用して頂く目的で源泉掛け流しで利用するものです。2つの給湯方法があり一つは、源泉を直引きの配管で給湯量は、毎分50リットル、もう一方は、その源泉を貯めたタンクからポンプアップする配管で給湯量は、毎分200リットル。この2つの給湯方法を用いてお客様のご希望を聞いてから僅か4分で空の状態から満杯にする事が出来る仕掛けになっています。使ってもすぐ抜くという利用方法であった為、清掃も簡単に行い3ヶ月程は、特に問題もなく使っていたのですが7月に入り利用者も多くお湯が溜まっている状態が長時間続く日が多くなると乾きにくい部分にアオコ(藻の一種)が出る様になってきたのです。これはマズイとたわしでこすりカビ取り剤などで処理するのだが直ぐまた出てくる様になった。露天の為、お日様の力で藻が元気良くてあちこちにアオコが発生する。これはマズイと湯船のお湯をレ菌(レジオネラ属菌)の検査に出してみると案の定、陽性になった。結構やばい数値だ。通常通りヒノキの湯船の木地を痛めない様にスポンジと中性洗剤で洗った程度では、表層に出来たレ菌のコロニーは、落ちないのです。源泉からのお湯は、OKだったが貯湯タンクからは、僅かだがレ菌が潜んでいる事も判った。リニューアルの為、休んでいる間にお湯が流れずレ菌のコロニーがどこかに出来てしまった様なのだ。こうしてこの夏のレ菌戦争は始まった。貯湯タンクには万一源泉事故の際、温泉は駄目でもお風呂としてのお湯が供給出来る様にボイラーが繋がっている。これら配管で繋がっている部分全ての清掃と消毒を徹底的に行う必要が出てきたのですからもう大変な事です。しかも温泉は、ph9.23という高アルカリ泉で少々の塩素では効かない。そこで3つの方法を行いました。タンクの中の清掃を行った後、ボイラー部分の配管には発泡する過酸化水素系の消毒剤を投入しました。今まで使った事のない部分であった為、ずいぶんの汚れが出てきました。そして温泉を抜いて水を溜め、塩素を投入しボイラーを初めて作動させ85℃まで加温して配管の中を強制循環させる事を試みたのです。この事は文章にすると簡単そうですが実際に行う作業と言えばまるで潜水艦の操縦みたいな複雑なバルブ操作を行う事となりマニュアル無くしては出来ない作業です。このマニュアルの作成が結構手間取るのです。全てのバルブに番号を付けたりすることも必要でした。ここで2回目の検査を行いました。ところが配管やタンクは綺麗になったのですがヒノキのお風呂だけは、僅かに検出されたのです。ヒノキの表層に食い込む様にレ菌のコロニーが出来てくるらしいのです。折角の源泉が売り物の温泉には塩素は入れたくない。しかしレ菌は殺したい。そこで最後の手段を執る事にしました。ヒノキのお風呂を使わない夜間や暇な時は、使用するギリギリまで塩素を加えた水を張っておき、入浴で利用する時は、水を抜き温泉を貯めるという方法です。  この方法に行き着くまで要した時間は、6週間。お陰様で現在は、レジオネラ属菌を完全に押さえ込む事に成功いたしました。レ菌との戦いに勝利したモノの少々疲れ気味の今日この頃でございます。


                 2005年 11月号

63.観光地の景観
    「らしい・らしさ」がキーワード
正直言って今まで町の景観について漠然とした思いはあったものの、景観作りについて何をどの様にすれば良いのかと言う具体的な事になるとまったく理解できていなかった。景観の素晴らしい町は、訪れた人に感動を与える。山や川など自然の景観については理解も得やすく話は進めやすいが、個々の施設など建造物については、統一感を強引に求める事は理解を得にくいし難しい。しかもそこに住む人には見慣れた普段の風景であり街並みを整備しての景観づくりは、ある意味で個が埋没してしまう事ともなる。だから余程そこに住む住民が地域に根ざし町を愛し景観についての意識が高くなければ全体の景観づくりは出来ない。すでに景観条例などが制定され街並みの一体感が出来ている町は、幸いだがこれからと言うところは、その方向性が見いだせず苦労している。地域としての統一感が重要視されがちなのだが単に屋根や建物のデザインや色の事ばかりが景観作りとは思えない。確かに地中海の都市に見られる様な真っ白な街並みは美しいと思うしアルプスの谷間の街並みの赤い屋根も街も素晴らしい。京都の町屋の風景は、外国から訪れた人々には日本のイメージそのものの景観だと思う。温泉を持つ観光地などこの様な景観作りが出来ているところは、羨ましい限りである。過去の観光ブームの中で利便性や収益性、さらに個の露出を考えて作られてしまった街並みに統一感や一体感を今すぐ求める事は無理かも知れない。しかし都市やテーマパークは別として歴史の中で形成された観光地には最初からその街が生まれた主たる環境や景観などの理由がある。温泉地にあっては「温泉」でありその起源である「川」だと思う。高原や海辺にあっては山々の景色や海岸の美しさではないだろうか。歴史的建造物や宗教から生まれた観光地もあるだろう。それら本来の町が形成された理由(わけ)を考える事によって町の建造物による景観づくりの糸口が見えてくる。高原ならば高原らしい建物、城下町なら城下町らしい建物が作られれば景観は、自ずから整ってくるのではないだろうか。またその区域もそれらが眺められるビューポイント(視点)を考えれば定めやすい。景観づくりは、「その町らしさ」や「その町らしい」をキーワードに理解を深めていく事が肝心と最近考えるようにしている。私の町は、この春の町村合併で真庭市という新しく生まれた市に組み込まれた。人口は、五万四千人と僅かだが岡山県全体面積の12%を占める広大な地域で蒜山高原、湯原温泉郷、勝山の城下町と中国地方一番の滝と呼ばれる滝や鍾乳洞など観光交流人数は四百万人を超える大きな観光市だ。地域が広いだけにそれぞれの地区には顔がある。画一的な町づくりは出来ない。高原には高原らしい建物が建って欲しいし温泉街には温泉地らしい、そして城下町には城下町らしい街並みがふさわしい。建築物や道路建設そして河川の整備など法や条例もさることながらその土地「らしさ」を求めた景観づくりを考えれば良い。 広大な土地のある高原に山々の眺めを遮る高層のホテルは如何なモノかと思う。逆に谷間の狭い土地にある温泉街では密集した街並みも造り方によっては面白みのある景観が作れる。山形県の銀山温泉など風情ある木造四階建ての旅館が隙間無く並ぶが谷川を挟んで長い歴史の中で作られた街並みは、非常に魅力的だ。地域によっては建築基準法による建坪率や容積率なども温泉地など建物が密集した地域では安全を確保した上で緩和されても良いと思う。ドイツの温泉街の様に隣との境界すら隙間無く建っている方が防犯防災の面で良いと言う考え方も正しいと思えるだ。また景観づくりの面からも都合がよいのではないだろうか。ただし主役は、あくまでも山や川である事を忘れてはならない。

トラベルニュース 9月

観光と環境問題

 外国の方に人気がある観光地は、日本らしい景観が残る場所という。当たり前 と思えることだが結果的に現代の日本人にとってもその景観は、魅力的な物となっ ておりその多くは人気の観光スポットとなっている。「日本らしい」と感じさせ る物は、棚田に代表される田園風景であり統一感のある山村の集落であり、川辺 にある温泉街などではないだろうか。いずれにしても今ある風景では無く時代を 感じさせるものなのだと思う。そこには自然と調和した風景があった。今、多く の観光地は地域振興の名の下に整備され続けている。しかし本来その地が多くの 人を引きつけた景観や環境は破壊されている場合が多い。過去の大型観光の幻影 を追い求めた結果として失われているのが実情だ。観光振興は、地域振興のコン テンツとして政治的に利用される場合も多い。地域としてともすると政治家の甘 い言葉に乗ってしまいその結果、全国どこを見ても同じような観光地に没落して しまっているのでは、ないだろうか。  一時の観光ブームは去り立派に整備された道を通る車は少なくそびえたホテル の部屋の灯りもまばらと言う地が多くなっている。山に目をやると植林された弱 々しい木々があるばかりで四季に目を楽しませることもない。昨年の台風で多くの植林され た山がなぎ倒された。戦後に植えられた木々は手入れがされておらず、ほったら かしの状態で根が張っていない。間伐を行う人手もなくその土の治水力も無くなっ ている。その結果、無惨に地面を露出させている。森林関係者に聞いたところ倒 れた木の後にはやはり同じ針葉樹が植えられるそうである。理由は、広葉樹では 後々お金にならないから補助金が出てもやはり山の持ち主は、針葉樹を植えるの だという。なんとも学習能力の無い話である。しかしこの林業の話を笑う事は出 来ない。我々観光従事者も同じ事を繰り返しているのだ。  昨年に続き今年も大型台風が訪れた。例外的な異常と思える気象現象が恒常的 になってきた。パニック映画の様な光景が現実の事としてテレビで放送されてい る。地球温暖化への歯止め話題は、ニュースで報道されているが実は、すでに手 遅れなのではないだろうか。これだけ大きな自然からの警告を受けながら温暖化 の抑制の話程度の話題しか発表されない。本当は、すでに人類滅亡の坂道を転が り始めてしまっているのだがパニックを恐れて発表させられない。マスコミへの 情報抑制が始まっているのでは無いだろうか?などと思ってみたりもする。  ドイツでは今の日本人には信じられないぐらいの環境に配慮した人々の生活が すでに始まっている。日本ならどこでも見かける飲料水やビールの自動販売機が 表通りから姿を消している。まれに置かれている場所は、販売機の灯りが見えな いビルの奥の部分とかだけで缶ジュースもペットボトルもリサイクル税の導入で 日本の3倍以上の値段になっている。スーパーでも飲み物は容器を持参して量り 売りというのが普通となっている。買い物時の梱包や袋も一切がない。街の静か な環境を守る為にはパークアンドライトも普通に行われていうる。  日本でも近いうちにその様な生活に変わってくる事だろう。人々が安らぎを求 めにお越し下さる温泉町などそんな社会を目指していち早く動く必要がある。自 然と景観を活かした町づくりを今こそ行わなければならない。地方行政では過去 に策定された振興計画が生きている場合がある。10年以上 前の大型観光時代に必要と思われた道路の拡張工事が観光バスも少なくなりつつ ある今になって作られる話が持ち上がっている。景観や風情が問われる時代にそ れを壊す施策がまかり通る。観光地を取り巻く環境は、大きく様変わりしている。 これからの時代にあえて自然や景観を犠牲にして道路を拡張する必要があるのだ ろうか?


                 2005年 10月号

62.観光と環境問題
    時代は、観光から旅行へ
 かつて観光ブームだった頃、全国各地で観光開発が競って行われた。山を削り海を埋め温泉を掘った。そこに大型のホテルが建ち多くの観光客が訪れるようになった。観光バスを入れる為、道路も拡張された。時代が移り観光は衰退していった。観光地にはむき出しのコンクリートが残った。  と極端な敗退の話は別として最近感じることは、言葉遊びかも知れないが人の流れは、「観光から旅行」に移行した様に感じると言うこと。値段やムードだけで釣られて連れられてくるのが観光客、自分の意志でお越し下さる方は旅行者と言うのだそうだ。今や観光バスを連ねてお越し下さった観光客は、(湯原温泉には)もういない。それに変わったのはカップルや家族連れのお客様。これは自分で楽しむ場所を決め宿泊地や施設も自分で決めるから旅行者という見方をするのだそうだ。観光客は、過密な観光のスケジュールが決められているので宿から出て路地裏は歩かない。観光客では宿以外に直接は潤わない。旅行者は、時間に余裕があるから路地裏を好んで歩く。従って町全体が潤うのは旅行者が多い町の方だそうだ。観光客の為には大型バスをスムーズに通す為の大きな道が必要だった。山を削り川に蓋をして道路は造られた。利便の為に自然を破壊し景観を犠牲にしなければ成らなかった。しかし今は、旅行者が旅の主役になってきた。旅行者は、自然や景観など環境の良い場所を好む。今や環境を犠牲にして観光振興に走るのは時代錯誤としか思えない。  今年は、多くの地域で町村合併が進められた。その中で多くの温泉地がこの合併で困った事態に陥っている。今まで小さな町や村の中でそれなりにコンセンサスを得ていたこの「観光から旅行」への流れが合併による行政の新たな括りの中で理解されず地域再開発のムードの中で亡霊のごとく観光開発という言葉が浮上しつつある事だ。観光は、地域振興の掛け声として唱えやすい。合併により地域の声が届きにくくなった時、過去の経緯を知らぬ首長や主権争いする議員に道具として使われやすいのだ。合併以後、私の所にも多くの新しい市会議員がお越し下さった。そのほとんどの議員さんが観光振興とか「観光バスでワンサカお客さんを寄せられる」施設のご提案をお話された。その多くは、市の財産となった広大な土地に大きなレジャー設備を作り観光の目玉にしようというアイデアだった。私は、この「観光客から旅行者」への流れのお話をその全員の方に伝えさせて頂いた。確かにお客様には、まだまだお越し頂きたいのが本音だがここ数年微増とはいえ善戦しているのは、ある意味観光から視点を変え町本来の魅力を出していこうという試みだ。安易な観光開発には反対したいのだ。鼻息の荒かった先生方も拍子抜けでお帰りに成られた。  合併問題とは関係ないが私が今、注目している地域がある。震災から不死鳥のように甦った有馬温泉だ。私は、有馬温泉の町並みづくりを我が地の手本と考えていた。その有馬の温泉情緒あふれる中心部の川沿いに大きな道路を通すという。「まさか」としか思えない話だった。理由は、観光バスをスムーズに宿に運ぶ為と聞いた。2車線の立派な道路だ。浴衣掛けで散策をしているお客さんの側を猛スピードの大型車が走りさる温泉街には、のんびりした風情はない。時代は、環境問題を優先しなければ考えられないところに来ている。温泉街の風情を捨てて利便を優先させる施策は、有馬温泉をどの様に変貌させるだろうか。


                 2005年 9月号

62.楽天問題
インターネットの創世記にその普及促進を行おうと志を同じくした友人達と情報の集中化について議論した事がある。インターネットでの情報配信を急ぐ必要から中央での情報収集と配信を唱える私にある友人は「情報の一極集中は、ネット社会において好ましく無い」と反論した。その理由は、万一の事故や災害の際に一極集中ではその瞬間に全ての情報が遮断されるという事、そして中央での一極支配に繋がりかねないとの考えからだった。結局その時の結論としては同時進行で個と地域そして中央での情報発信を行うという事になった。今回の楽天問題を顧みた時、あの時の議論が思い起こされる。インターネットでの予約比率が高まる中で安易な楽天などの予約サイトに頼りすぎそれぞれの持ち味をそれぞれの感性で表現できるオリジナルのホームページの運営がお座なりになったり、また地域の情報をタイムリーに発信しなければならない地域の組合や観光協会、あるいは行政のホームページがパンフレット化してしまっている。ホームページには完成やゴールはない。新聞や雑誌あるいはテレビやラジオのように常に新鮮な情報発信を続けなければならない。各自のホームページは、それなりに予約実績が上がるから情報の更新もなされているだろうが地域情報のホームページが死んでる場合をよく見かける。作りっぱなしで更新されたない補助金で作って管理人不在の地域ページだ。私の場合、お節介にも地元の湯原温泉と岡山県、そして全国のホームページのお世話をさせて頂いているが、アクセスが多いのは俄然、湯原温泉のホームページだ。検索で「旅館」や「温泉」など漠然としたキーワードが打ち込まれる事はまずない。都道府県名でも大まかすぎる。かといって宿名での検索は、余程の有名旅館でない限り望むすべもない。地域の温泉名などが検索のキーワードとしては一番多いのだ。湯原温泉のホームページの更新は、月2度程度で取り立て手の込んだページ造りをしているわけでもない、しかし地名での検索では常にトップに出てくる。ただしスポンサー広告には太刀打ちできない。悔しい事に有名予約サイトが上に出てくる。消費者には今だに検索サイトを灯台や日の光のごとく公正な物と勘違いしている人がまだ多い。実際、創世記にはホームページそのものが少なく比較的容易に検索サイトで表示された。しかし現在では上位掲載させるのは容易な事ではない。うかうかしていると施設名どころか地域名ですら予約サイトに乗っ取られかねない状況なのだ。予算が潤沢な地域であればお金の力でトップ表示を買い戻す?ことも可能だかその手法は決して長続きはしない。情報の質と見せ方を工夫し恒久的に情報発信していく地道な活動こそが大切なのだ。各施設のオリジナルホームページにも同じ事が言える。消費者も今のようなお金に物を言わせたスポンサー広告の情報にはキット満足できない。施設の情報は、予約サイトが情報を発信しているわけではないのだ。情報の大元は我々が持っている。客室を持ちサービスを提供する我々自身が情報を発信する事が今後激化するネット予約の対応策であり、これこそが王道だ。


                 2005年 8月号

61.紙を減らして電子パンフをタイムリーに印刷
先日、ある組織で「旅行で行きたい都道府県」というアンケートを行った。アンケートの景品は、投票された都道府県へ抽選でご招待するという物だった。アンケート集計の数字は覚えていないのだが抽選を行う段になって愕然とした。我が県「岡山」に寄せられたハガキが極端に少ないのだ。北海道の担当者の前にはそのハガキが20センチも積まれている。他の都道府県もそれなりに高さがある。ところが私の前にある岡山県への投票ハガキは、1センチの厚さすらない。なんとも情けない気持ちに陥った。後日、県の観光連盟の会議でその件を話題に出した。「我々は、今まで何をやってきたのでしょうね?」県のイメージを聞けば「マスカット、白桃、瀬戸大橋、倉敷」と言う答えが返ってくる。フルーツは、取り寄せればどこでも食べれるし、瀬戸大橋は、四国への交通手段だし、倉敷は、見学だけで通過されるし・・。今まで観光PRとして行ってきた県のイメージづくりそのものに問題があったのではないだろうかと。行政の考え方を質すと「広範に継続的な宣伝活動を行ってきた」というお答え。その結果が僅か1センチにも満たないアンケートハガキの厚さだ。何か足らない。知恵と工夫とビジョンが足りない。十年一日のごとく同じ事を繰り返す「広範に継続的」とは、その意味だ。結果が見えない方が後々良いから目立った事は行わない。一度良い結果が出ると次が困る。その結果、毎年中身が同じでデザインだけが変わる観光パンフレットが県や観光連盟、そして地域ごとに二重三重に膨大な量のパンフレットが作られ続ける。作るだけ作っても配り所がないので半分は捨てられる。本来、外の人に読んで貰いたい印刷物が私たちの所に大量に配布されてくる。一部を残して大半は、ゴミ箱に直行させる事になる。昔の戦争みたいな数打てば当たる的な宣伝(その大半はゴミ箱が目標)は、必要ない。情報を求めている人に届く方法が何故出来ないのだろうか?一方、直接おもてなしする私たちも情報は、持つ必要がある。個人旅行が主体となった今、お客様の目的は多様であり宿泊客の多くは、チェックイン時に翌日の予定が決まっていない。その日の天候や宿からの情報を拠り所にしているのだ。しかし宿泊施設には、大量の紙モノは、置く場所もなければ保存場所もない。解決方法は、電子パンフレットだ。必要な情報を必要とする時にプリントアウトして渡せれば無駄がない。電子パンフレット自体は、既存の情報を利用する処から始めれば初期の予算は、ほとんど必要ない。パソコンが使える旅行者であれば旅行の計画段階で利用して頂ける。着地型とか誘導型とかいう垣根のない実用性の高い観光情報発信になる。インフラの整備は、ある程度必要になる。今やパソコンやネット環境がない所は、無いと思うが官公庁などの観光案内窓口や案内サービスを行うホテルや旅館のフロントにパソコンを置いて頂く必要がある。パンフレットの印刷代が削減できた部分でプリンター用紙とインクを支給できれば、それぞれの窓口も嫌がらないだろう。 課題としては、膨大な情報からタイムリーな情報を旅行者の趣向にあった形で検索できるシステムの構築だ。地図やイラストマップからの検索、利用交通機関や季節やイベント情報、天候や移動時間、温泉やレジャー施設での検索などそのシステム造りについてはかなり予算も必要となりそうだ。


                 2005年 7月号

61.露天風呂の日:考察     観光客と旅行客?
湯原温泉一番のイベント「露天風呂の日」が今年も無事に終わった。共有の露天風呂に象徴される温泉とそれを守り伝えた先人に感謝する目的で19年前に始めたイベントだ。当初は、温泉町周辺の地元の方に旅館のお風呂を無料で使って頂く程度だったがマスコミに取り上げられ多くのお客様にお越し頂けるイベントとなった。今年は、日曜日の開催となり例年の倍近くの賑わいとなった。完全に温泉街のキャパを超える人数となった。案内係などパニックになるだろうと思われた。その賑わいの一因に観光バスによるツアー客がある。本来このイベントは、お越し頂くお客様への感謝の意味合いもあるので参加費は無料である。無料だからお越し下さる通常のお客様には「お風呂を使わせて頂いて、ありがとう」と言う気持ちも表れ我々もてなす側も「喜んで頂けて、ありがとう」と言う気持ちがある。双方が、感謝の気持ちで対する非常に和やかな気分のイベントだった。ところがこのバスツアーでお越しになるお客様は、ツアー参加費をお支払いになっているのだ。勿論、イベントの意味もご存じない。弁当すらツアー会社が用意した物で地元に落とすのは、弁当の空とゴミだけと言う有り様だ。ツアー料金もバス代+弁当代程度でべらぼうに高いとは思わないが参加したお客様にその意識は無い。イベントの全てがツアーのサービスと思われてしまうのだ。ここにギクシャクとした感情が生まれる。ある程度、イベントの意味を理解してご自分の意志でお越し下さるお客様とツアー会社の広告に釣られてバスで連れられてくるお客様。よく旅行者と観光客の違いについて論議するがこのイベントに参加して頂いたお客様にもその違いが出ている様に思えた。  幸いな事に例年、お風呂に入れなかったと言う苦情が殺到していたアンケートだが今年は、その苦情の言葉がない。今年は、物理的に半数が入浴できないじょうきょうであった筈だが各施設で順番待ちの行列を作って頂き待ち時間にイベントの趣旨を説明できた事でクレームが回避できた様だ。たとえツアーバスで連れられてきたお客様でも意を尽くせば我々の思いが通じる。始まって20年にもなるイベントだがまだまだ迎入れる我々に知恵が必要なようだ。


                 2005年 6月

60.トラベルXMLって何?
ネット次世代の予約システム
 10年以上も前から研究されてきたインターネットを活用した新予約システムがここに来てやっと現実味を帯びてきました。この新時代の予約システムでは、従来のネット予約の様に販売サイト上のホームページでの管理や電子メールを使ったやりとりが不要となります。要するに自社のサーバー(パソコン)内の空室情報や宿泊プランが自動的に複数の販売網に配信され、さらに発生した予約は、フロント管理システムや予約管理のシステムに自動的に取り込まれます。しかもこのシステムは、国際的に統一された仕様となっており国内の販売サイトのみならず世界中の販売網に配信されるのです。  これは「旅行EDI:旅行電子商取引」と言う研究会をえて、さらに標準化と具体化を目指した「トラベルXML」に進み今やっと、現実味が出てきたのです。今年中にも各社からこの技術を利用したシステムの販売や予約サイトが雨後の竹の子のごとく出てくるかも? ただし同じ宿泊施設とは言え日本の「旅館」は、商品網が複雑で今ひとつ国際標準化に至らない点もあるようです。  このXML、利用する立場では特に意識する必用はありません。「ああ、便利になったなぁ」と言う感覚で良いわけです。身近なところで使われているXMLの技術というと年賀状で利用している宛名書きソフトがある。この場合は、情報の標準化という次元だけだがあるソフトから別のソフトに乗り換えた場合でも情報は、そのまま利用できる様になっている。あれと同じと思えば良いわけです。  自社のサーバーで行っている空室管理や商品プラン情報の複数サイトへ配信するイメージは、著作権で問題になっているP2PのWINMXなどで利用しているファイル共有システムがよく似ていると思います。予約サイトは、顧客の人数や条件に合う客室や商品をネット上のホテルのサーバーを覗きに行って探しに来る。そんな感じだろうか。  ただ気になる動きもある。せっかく標準化を目指した「トラベルXML」だがここに来て独自の規格を先行させた予約サイトがある。楽天トラベルではこのトラベルXMLに乗らないXMLを開発しているようです。もともと旅館よりホテル販売が得意な「旅の窓口=楽天トラベル」なのでトラベルXMLの完成を待たずに先行したと思われます。容易に修正できる技術なのであまり深く考える意味は無いと思うが手数料のアップなど強気で業界をリードするサイトだけに少々気になると言えば嘘になるかな?  そんな訳でインターネット開幕以来の我々業界の技術革新が目前に迫っているという気配です。技術部分は専門家に任せておけばいい話で深入りする必用はないのですがXMLのニュースには少しアンテナを張って於いた方が今後の為によいと思いますよ。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2005年 5月

インターネットを始めて10年を迎えました。思えば長い道のりでした。7年前に「旅館」と言うキーワードで検索したら約千件のホームページが見つかったと記憶しています。今日、同じように検索すると337万件のホームページが見つかりました。「ホテル」をキーワードにすると1240万件も見つかります。もちろんそれぞれの施設のページもあれば組合のページやネットエージェントの情報もひっくるめての数字ですが凄い情報量になったものです。  ところで近年、友人から相談を受ける事が多いのです。その内容は、「ホームページからの予約が減ってきている。何とかならないか?」と言うものです。さらに「逆にネットエージェントからの予約は、増えておりその手数料が馬鹿にならなくなってきた。」という状況です。以前は、インターネットの先駆者は、それなりに予約が集中し地域で抜きに出た状況にする事が出来ました。ところが近年では余程、頑張らないと抜きに出る事は難しいのが現状です。基本は、今も昔も変わらない、要するに頻繁な情報更新を行う事に他なりません。その為にはそれなりに情報更新に費やす時間も必要なのですがネットエージェントの管理に追われて本来の自分のホームページの更新に費やす時間を奪われている状況が多いように感じられます。ネットエージェント間の競争も激化しておりそれぞれのサイトがあの手この手で客室提供を求めてきます。また実際にそれなりに売れるものだからその管理に追われてしまう。次第に自分自身のホームページの更新が疎かになりネット予約の比重がネットエージェントに偏り始める。どうもそういう状況が起きているようです。友人には、「何とか頑張って自社ホームページの充実を計り続けるしか方法はない」とアドバイスしたのですが技術的な問題もあり、言うは易く行うのは困難な状況と思われます。あるネットエージェントでは「カンファレンス」を開いて宿のネット管理者に売れる商品作りやプランの組み方まで教える有料の会を開いており、それには毎回何百人もの参加者があるようです。自社ホームページでは、かなりのマンパワーが必要です。それに比べればネットエージェントを利用した集客は、一定の技術で行う事が出来るので担当の社員をカンファレンスに行かせてコツを習得させれば良いわけで会社としても容易に行えるわけです。   さてこの状況は、私的には少々面白くない。他の業界の様子を聞くと同じような傾向がもっと極端に発生しています。地域で立ち上げた特産品販売のショッピングモールでは物が売れないので大手のサイトに出店をやむなくされていると言うのです。地域ブランドもあり以前は、頑張っていた地域の状況だけに残念でならない。一方、消費者の立場でみれば有名サイトでの購入は、安心感がある。最近、通販で「餃子」を売っていたところが紛い物を大量に販売したと問題になったがあれなどもネット販売のマイナス要因になると嘆いていた。  規模にもよるが我々温泉地の小宿は、大いに情緒的な商品であり画一化しにくいという性質の商品だと思っています。(それでは駄目と言うご意見もよく聞くが)地域の情報を絡めて上手にやれば、まだまだネットエージェントに対抗できると信じています。安易に社員を旅行サイトの勉強会に社員を送り小手先の販売技術だけで集客を増やす手法は、長い目で見て良くないと私には思えてならないのです。「宿は地域の文化なり。」日々錬磨し地域情報の発信の道こそ最後に生き残れる道と信じています。  ただ私も全面的にネットエージェントを否定しているわけではないのです。直前の予約をやむなくされたお客様にとって予約サイトは、便利な存在である事は確かだ。我々にとっても急な空き室対策には非常に有効な販売ツールだとは思っています。しかしその様なサイトでご予約下さったお客様は、限られた情報しか持っていない。せめて予約後にサイト任せの確認メールだけでなく宿からの地域情報を含んだメールや電話での情報提供を可能な限り行う努力は必要だと思う。※これがクレームになる場合も(訳ありのカップルなど)大いにある事も事実です。この見極めには熟練した目が必要ですね・・(^^;


                 2005年 4月号

59.一念奮起のお風呂の改装
私事で恐縮ですがお風呂のプチリニューアルを行いました。目標は、温泉らしいお風呂を作る事。今。私ども湯原温泉では、地域として温泉町の原点に立ち返った町づくりを行おうと模索しています。温泉指南役養成事業や医療との連携を計り人間ドック付き宿泊プランを立ち上げたり、さらにそれらから滞在型の集客を増やす試みへと進めています。いずれも温泉が核になる訳ですが今まで我がホテルのお風呂と言えば風情は無いけど「温泉を利用したお風呂です」と言う感じで決してお風呂そのものが売り物になるような物ではなく町づくりで行っている温泉関連の事業との間にギャップを感じていました。自らがリーダー役も担っていましたのでその思いは日々募っていました。昨年の度重なる台風による被害も受けていたので一念奮起して行う事にしました。まず従来ジャグジーを設置していた部分を2つに仕切って木製のデッキを組みジャグジー部分と新たにヒノキと陶器製のお風呂を作りました。両方とも貸切で利用して貰うわけです。なかなか良い感じのお風呂にはなってきたのですが今ひとつ面白くない。何かもう一工夫加えようと頭を絞ること3日、「そうだ千と千尋だ。」と漸くしてアイデアが湧いてきました。仕掛けは、企業秘密ですが4−5名は、入れる湯船のお湯を一瞬に抜き捨てて新しいお湯をこれも一瞬に張る。効率の良い「新湯都度張替」のお風呂というアイデア。イメージとしては、アニメ映画の「千と千尋の神隠し」の名シーン、汚れ神(実は川の神様)が薬湯で清められ竜になって天に昇っていくシーン。あれです。千尋が湯札を送ると釜爺がありったけの湯を汚れ神の頭の上から注ぐ。「やったー!大成功です。」思惑通り、お客様も「新湯都度張替」に大喜び評判も上々です。その上、温泉の消費量が半分近くまで減少しました。これは、掛け流しでダラダラ流し捨てていた温泉を必要なときに集中して使う方が結果的に無駄がないと言う事が判りました。お客様には「新湯都度張替」を実行している事の証明にお客様ご自身にお湯を抜いて頂きます。さらに贅沢に温泉を使っている事の演出として利用途中に頭の上から大量の足し湯をドドッドと注ぎ込む。事前に「千と千尋の様なお風呂」と説明をしてあるので効果は抜群です。ジャグジーの方もひと工夫しました。こちらも「新湯都度張替」なのですが横に少々悪戯を用意しました。バケツをぶら下げたのです。湯上がりにこのバケツの紐を引っ張るとひっくり返って水が(実は温泉)がザブッと落ちてくるカラクリです。息子がドイツで見てきた仕掛けです。  現在、私自身は、釜爺と化しております。(ボイラーは、使用していませんが・・ガハ)事務所に座りセンサーを監視しタイミングを計りストップウォッチを片手にスイッチを押す。なかなか楽しい日々です。お近くにお越しの時は、是非ご入浴にお立ち寄り下さい。

    
この画像には「カラクリ」は映っていません。


                 2005年 3月号

58.NHK-TV「難問解決!ご近所の底力」出演レポート
息子のドイツレポートから私なりの温泉についての考えを書くつもりでしたがその後、前号で書いた3日目以降の続き話を聞く暇がない事態となりました。昨年11月にNHKからお声が掛かったお話しが現実になりスタートしてしまったのです。番組名は皆さんご存じの「ご近所の底力」。番組の内容については放送されるまで口止めされておりました。疲弊した温泉地の復興の妙案として湯原温泉の活動事例が取り上げられると言う湯原にとっては非常にありがたいお話しなのですが「何で?」と言う感じでした。私的には、努力も実績も人様に自慢できる様な段階に来ているとは思えないのです。しかし一緒に頑張ってくれている青年部や町の人たちの励みになるのならと番組への出演を承諾しました。現実に一月に取材にお越しになり4日間に渡って調査的な事も踏まえたロケが始