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【更新:2009/10/01】CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という、とんでもない病気にかかり現在、治療中です。発病は、1991年の初冬。あまり例のない病気でこの病気に関するホームページも少ない様です。少しでもお役に立てればと思いアップしました。私の名前は「古林伸美:こばやしのぶよし」このサイト「www.net626.co.jp」の制作者で【プチホテルゆばらリゾート】のオーナーす。
住所:岡山県真庭市湯原温泉68 TEL:0867-62-2600 FAX:0867-62-2300 E-mail:nobu@net626.co.jp |
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このページは、「インターネット四方山話」からCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)に関連した部分を抜粋して載せてます。近況については、そちらをご覧下さい。
■ CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)とはどんな病気・・?
■ 治療法
○発病:1991年〜1992年 1991年の秋、左手の小指が曲がったまま伸ばせず、これはコンピューター技術者の職業病とからかわれていた。本人的には不自由も無く自覚無し。1991年の町内運動会に家内の美穂と二人三脚に出場、善戦し先行者を追い抜いたのだが、元々足の速いほうだった私が家内に引っ張られていたと後で友人達に聞きショックを受けた。この当時、「お前の歩き方は、変だ!」と忠告を受けたことがある。本人的には自覚しておらず友人達からの忠告も「変なこと言われたなぁー」と思う程度で特に気にもしなかった。1992年2月、子供のスキー教室に同伴した。その際、リフトの最上部まで上がり滑る気満々で望んだが、何故が左方向に曲がり真っ直ぐに滑れない。やっとの事でロッジまで帰り着いた。子供の世話処では無かった。ロッジから駐車場へ向かう道でも積雪場所では何度も理由無く転び、知人から笑われる。本人としては不本意な転倒でこの時点で身体の変調に気づく。その後、近所に筋ジスのお爺さんが居られその後、亡くなられた。もしや私も同病ではと思い悩む。翌1992年の春には、両足のつま先に力が入らず、ジョギング程度の走る行為が取れなくなった。その後、両手の筋力も低下し本など少し重たい物を渡された時に落とす様になった。この異変に何らかの病気という自覚はあったが当時の私自身の知識では「筋ジス」以外に思い当たらず、家人にも打ち明けず悩み込んでいた。
○入院
【初期の治療】ステロイドのパルス療法・ステロイドの飲用・免疫抑制剤の投与・血漿交換3回・ビタミンBの投与等を行うが効果無く、この時点で開き直りで諦めた。唯一継続していたステロイド療法も、その副作用の方が恐ろしくなり11月に20ミリグラム飲用となった時点で退院。 ○1993年5月?身障者手帳を頂きました。(上肢3級下肢4級) ※その後、2004年に再審査を受け、上肢下肢共に2級となり、現在、1級の身障者手帳を交付されています。 ○2000年11月インターネットで人免疫グロブリンが保険適用になった事を知り8年ぶりに川崎医科大学付属病院に再入院。初回は、経過を見る為の検査と治療後の効果を見る為に3週間の入院。以後は、点滴治療のみに約一ヶ月毎に5日間入院する事を約6ヶ月間続け、この程度の治療ならどこでも出来そうな気がして思い切って担当医に相談しました。結果、住まいのある湯原温泉病院で現在、概ね30日〜40日の間隔で通院し点滴を受ける治療を続けています。(1回の治療は、5日間) ※現在は、100mgの従来の倍の容量の点滴5本と50mgの小瓶を1本を行う様になってます。 この11単位、時間にして約7時間の点滴を毎月行っています。 ○2004年 1月・・現在の状況 100m以内ならゆっくり自立歩行可能。無理すれば500mぐらいなら杖さえあれば歩行可能ですが疲労感は強く、歩行スピードも・・100m5分かな? 自動車運転AT車なら可能(鍵に簡単な補助道具を付けた)、現在、ぶつけても平気な真っ赤な戦車(ボルボ)と町内のチョコチョコ移動用に駐車違反お咎め無しの 50cc原付4輪車(光岡製の自作車)を使ってます。 パソコンは、左手親指の第2間接部分で打ち込み可能。人免疫グロブニンの効果が無くなってくると腕が持ち上げづらくなり打ち込みが苦痛になる。通常、この程度で治療の日程を判断、私から病院に言い予定を決める(マイペース)。マウスの操作は、多少遅いが可能。音声入力が得意です。 Yシャツのボタンは、留めたり外したり出来ないので補助が必要。ネクタイは、スプリング式のワンタッチタイプに全て改良。ズボンは、10年前からズボン吊りを愛用。 食事は、麺類なら箸は使えるが、概ねフォークとスプーン、右腕の持ち上げが出来ないので左腕で補助しながら口に運ぶ。などなど・・人使いが旨くなりました。 余病なし。グロブニンの効果が無くなってくる点滴後4週間を過ぎた時期になると多少イライラしてくる感じ・・家族からメチャ不評・・でこの時点で病院がよいとなるケースが多い。な? ○2009年 10月 月に5日間行う人免疫グロブニンの治療は、現在も変わらず続けています。いろんな組織の役職を持つ関係もあって必ずしも5日間で治療を行っている訳ではないのです。5日間×11単位の点滴をスケジュールの都合で10日間で行うような時もあります。ある日、午後からの会議にどうしても出席しなければならず6単位しか点滴できなかったと言う場合には、残りの5単位を治療日数を追加して行うことになります。土日を挟んでの治療にならざる得ませんので結果的に8日間になる訳です。 ○2010年7月14日 5月の点滴後、6月に入り身辺忙しく6月の治療は行えず7月7日から治療を行った。今日まで8日間掛かった事になる。治療前の7月上旬は、歩行が辛く、コップが片手で持てない状況までなっていた。コップを持つ手がぐらつき何度も落としてしまう事があった。今日現在は、いつもの微熱があるが手足とも若干回復したように感じる。21日に伝導試験を行い、今後の治療法について検討する予定。 |
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月刊ホテル旅館(柴田書店):インターネットコーナー原稿:古林伸美 8.楽チン人生・あまえてごめんね(2000年11月号)
CIDPと言う病気をご存じだろうか。CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と呼ばれる神経麻痺の病気で宝くじに当たるより希な病気だそうである。あまりにも発病例が少なすぎて疫学的調査は、国内・海外とも未だ行われていない。1992年2月にこの病気に大当たり。ファンファーレのラッパの代わりに手足の麻痺が始まった。最初は左手の小指から動かなくなり両足膝下、両腕が部分的に麻痺してきた。こんなややこしい名の病気など思いもよらないのでてっきり筋ジスと思い込み絶望し心底落ち込んだ。神経内科の治療を受けとりあえず生命に危険がないことは判ったモノの精神的な打撃は消えず落ち込んだままだった。治療法も当時はないまま退院。ホテルに帰ったモノのそれまでのような仕事は出来ない。私も他の旅館のご主人のように結構、手八丁、口八丁だった。下足番から調理までまた少々の修理なら電気から大工仕事まで何でもやっていた。身体の麻痺は、それらのほとんどを不能にした。出来る事と言えば電話番とパソコンを使った経理ぐらい。趣味の自転車やスキーともおさらばした。無様な歩き様や食事の仕草が嫌で人との接触を断っていた。気晴らしで飲む酒が過ぎてアル中になり県の保険センターのお世話にもなった。我が人生のどん底だった。
そんな私を立ち直らしたのが家内の美穂だった。とにかく人前に引っぱり出したのだ。当時曲がりなりにも全国の旅館青年部の役員だったがほとんど出席しないでいた。そんな嫌がる私を無理矢理引っぱり出し義務感から仕事をさせた。お陰で少しずつ人の目が気にならなくなった。パソコンの技術を持っていたことも幸いした。指先の麻痺は徐々に進行したが急激に進む技術進歩がそれを上回った。近年にはインターネットも登場し否応もなく他の仕事から開放された身には、それに専念できかえってありがたい事となった。雑用も人に任す度量も出来た。
さてこうなって来ると中なか快適な人生だ。頭の回転はそれほど良い方ではないけれどこの身体のお陰でじっくり考える時間が有る。経営のこと、町づくりのこと、業界のこと、
今まで見えなかった事が見えてくる。要は割り切りだ。元気な身体が無いならその分、少々心許ない頭だがこれを使って経営してみよう。自分に出来る事で社会に尽くしてみよう。大それた考えです。動き回れば多くの人に迷惑も掛けてます。でも私にはこれしか有りません。これからもみんなに甘えながら生きていきます。
私の病気の原因ですが最近の研究によれば免疫不全が原因だそうです。神経細胞は風邪などのウィルスに形が似ているそうです。風邪に罹った際に免疫の抗体が異常を起こし自らの神経細胞を攻撃するようになった結果だそうです。今年はインフルエンザの蔓延が起りそうとの事です。まさしく風邪は万病のもとです。読者の皆さんも何かと厳しい時節ですがお体大事に頑張って下さい。くれぐれも私のような拾いものをしないように・・。
PS:全旅連では集客に役立ち業界の情報ツールとしても役立つ「全旅連専用携帯電話」の配布事業を行ってます。詳しくはHP
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月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美 21.人生修行の入院(2002年1月号) 今ちょっと入院してます。なかなか快適な入院生活です。お酒こそ飲めませんがかわいい看護婦さんが細やかに気遣ってくれて天国です。「最近の若い子は、何考えてるのか判らん」なんて自分の若い時のことを棚に上げて思うこともありますが、責任の重い危険な仕事をかいがいしくこなす彼女たちの姿を見て「なかなかどうして・・」と考え直しました。今回の入院は、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と言う珍しい?病気の治療の為です。免疫不良による神経麻痺で体のあちこちが動かなくなる病気です。10年前に発病したのですが当時の医学では効果的な治療法がなく今日まで「気持ちを体に合わせて」きました。最近になってヒト免疫ブロブニンという血液製剤が認可され効果を上げているという情報をインターネットで得たので「じゃあ試してみるかな。」・・と言う事で入院する気になりました。十年前に一度はあきらめた躰ですので少々複雑な思いもあります。治療の効果はてきめんで一部ながら改善の傾向が現れてきました。十年前にも治療方法の一つとして医師から提案はされたのですが、当時は、保険の対象とならない為、数千万の費用もかかると言われ行いませんでした。もし行っていたら発病直後なだけにもっと画期的に躰の機能は改善したかも知れません。でも大量の血液製剤は、当時は、フィルタリングされておらず確実にB型C型などの肝炎に感染していたでしょう。もし十年前に不自由な体にならず元気だったら遊ぶことばかり考えて今ほど仕事をする気にならなかったかも・・等々。何が幸いで何が不幸に繋がるのか、こればかりは誰にも判りません。過去は、過去として今は、明日を見据えた最善の策と行いに心がける。悩むよりも行動です・・なんて事を自分自身に言い聞かせてます。私の今居る病棟は、難病や重病の方ばかりです。八人の病室も静かです。しかし中央にあるロビーは、様態の安定した方が集まり結構にぎやかです。私の場合は、タバコ吸いたさもあり点滴をぶら下げて大半をこのロビーで過ごしています。胃ガンで明日、手術する人、膠原病で30年入退院を繰り返している人、皮膚が硬化する難病で指が曲がり社会復帰に悩む二十歳のお嬢さん、筋ジスのお爺さん。世間話に病気を忘れ花が咲きます。消灯後もここは賑やか、若いグループは、お菓子を持ち寄り毎日パーティーです。そんな中に面白いお爺さんが居ました。自らも膵臓ガンで放射線の治療を受けているのですがその若いグループに入って毎晩人生相談に乗ってました。聞けばお寺のご住職。豪快に笑う様からは本人が重いご病気とは、とても思えませんでした。どんな境遇にあっても人を思いやれる気持ちを持ち続ける。十年前の長期の入院時には、感じなかった思いが少し芽生えた今の私です。世情を離れて病院暮らし、人生の修行にたまには良いかも。脈を執ってくれる看護婦の笑顔を見上げ何故か血圧の上がった私です。「修行がたらん、修行が・・カツ」例の和尚さんに叱られそうです。 ホテルとホスピタルは、語源は同じだそうですが我が儘な患者に笑顔を絶やさず優しくいたわる看護婦さん達、旅人をもてなす我々は、見習うところが多くあるように感じました。 |
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月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美 22.明日が楽しみな日々(2002年2月号) 先月号に書きましたが私は、現在、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)の治療として免疫ブロブリンの大量静脈点滴を受けています。一ヶ月のうち7日程度入院して検査と点滴を行います。この点滴で使用する免疫ブロブリンという薬は大変高価な薬で1本が3万5千円もするそうです。これを一日に11本、5日間点滴します。一ヶ月の治療代は、200万円を超えます。この治療をこれから2年間毎月続ける必要があるそうです。さらにその後も年数回は、この点滴を受け続けることになるとか。実際に私の支払う治療代は、保険と高額医療補助のお陰で10万円程度で良いのですが、お金の問題は別にしても複雑な心境です。免疫ブロブリンは血液製剤です。この薬1本を製造する為には、数十人単位の多くの人の献血(成分献血)が使われています。私の健康回復の為に他人の善意が消費されていく。 私が無駄な時を過す事は、その善意の方々の意を浪費しドブに捨てる行為だ。こんな私にそんな薬を使うだけの価値があるのだろうか。どんな生き方をすればその方々の善意に答えることになるのか。きっとこの治療を続ける限りまた生きている限りこの自問は繰り返す事でしょう。 先日、こんな事がありました。ある親子連れの方が一ヶ月の間に2度お泊まり下さいました。一度目は、旅の途中の偶然のご利用でした。60歳代のご夫妻とそのご子息でした。ご主人は、くも膜下で半身重度の障害をお持ちでした。この宿泊の後、家に帰ってから旅先で偶然出会った私のことが話題に上がりフロントでの対応やレストランでのサービスの模様が話されたそうです。私の宿は、小規模なので手足は不自由でも口達者な私は、戦力です。フロントでのご案内と夕食時レストランでのアンティークオルゴール演奏会は、私の仕事にしています。そんな私の姿をご覧になりご主人を勇気づけようと二度目のご宿泊となったそうです。その日、チェックインの予定時間よりも随分早くご到着なさって車椅子で街をご散策されていましたが気がつくと他のお客様の案内をする私の様子を少し離れた位置からご覧になっておられました。こんな私でも人を勇気づけられる力があるのかと思うとテレ恥ずかしく思いながらも嬉しさも込みあげてきました。実は、私自身も発病当初は、奇異な動きが恥ずかしく人前に出ることが出来ませんでした。家内に無理矢理引っ張って行かれた会議の後、東京の交差点で偶然すれ違ったサリドマイドの方の毅然とされた姿に感動して吹っ切れたのです。 治療の効果は、かなり劇的に出ています。昨日まで出来なかったことが私自身も気づかないぐらい自然に出来ると言ったことがあります。気持ちも180度変わりました。今までは、日に日に動かなくなる体に怯えて暮らしていました。夜、寝ることが怖い日々でした。今は、明日が楽しみな暮らしです。今後、完全に直ることはないでしょうが良くなっていくことでしょう。健康を取り戻した時に不自由だった時を過ごした日々を忘れないようにしなくては・・。 |
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月刊ホテル旅館:原稿:古林伸美 2007年 8月号
83:不自由な身体と口の関係? |
近況については、こちらをご覧下さい。
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