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CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)闘病記

【更新:平成26年5月9日(金)】
CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という、とんでもない病気にかかり現在、治療中です。発病は、1991年の初冬、37歳の時でした。あまり例のない病気でこの病気に関するホームページも少ない様です。少しでもお役に立てればと思いアップしました。私の名前は「古林伸美:こばやしのぶよし」このサイト「www.net626.co.jp」の制作者で【プチホテルゆばらリゾート】のオーナーす。

昭和28年5月生まれの61歳。
住所:岡山県真庭市湯原温泉68
TEL:0867-62-2600 FAX:0867-62-2300 E-mail:nobu@net626.co.jp

CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)ってどんな病気?

■ CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)とはどんな病気・・?
あなたの「CIDP」は、どんな病気なのかとよく聞かれます。非常に例の少ない病気で10万人に2人という発病率だそうです。(1991年私の発病時には40万人に1人と言われていました)私の場合は、医師でもなく、一般の方に理解してもらえるように以下のような表現で説明しています。
 人間の身体は、各部位が脳からの信号を神経で伝え動いていますが、この神経が異常を起こし、各部が正常に動かなくなる病気です。神経は、例えると電気回路の配線と同じ様な構造をしています。信号を伝える芯の部分が随という神経部分で配線の皮膜となっている絶縁体の様な働きをしているのが、髄鞘と呼ばれる部分です。CIDPに罹るとこの被覆部分である髄鞘を本来、自分自身を守るべき免疫の抗体が攻撃を行うようになり髄鞘が破壊されて神経の信号が正常に伝達されなくなって各部位に不自由な部分が発生するわけです。 病状の初期は末梢の細い神経部位の指とかに現れ腕全体や下肢に及び身体障害の状態になります。しかし現在は、下記の治療を早期に受けることで進行を遅らせられ又、完治される方もあるようです。私の場合は、発病後10年間有効な治療法が無く2001年にヒト免疫グロブリンが保険適用に成り治療を再開しました。その後、難病指定に成り治療費の負担も軽くなったのですが10年間の放置状態が長かった為、現在の様な障害に至りました。

■ 原因
未だ不明ですがインフルエンザなどウイルスの感染が引き金に成り免疫に異常が起こるというのが通説です。

■ 治療法

  1. ステロイド療法:神経が免疫の攻撃を受け炎症を起こしていることから、炎症を抑える効果を期待してステロイドを投与する治療法があります。大量のステロイドを点滴で投与するパルス療法や錠剤を長期間、経口投与する場合もあります。
  2. 免疫抑制剤:自分自身の免疫の抗体が髄鞘を攻撃していることから、その活動を抑える為、免疫抑制剤を投与する治療もあります。
  3. 血漿交換:腎臓透析の機器を利用して自分の免疫を取り除き他人の免疫に入れ替える治療法です。腎臓病で用いる透析装置を利用して行う為、大がかりな治療になります。
  4. 人免疫ブロブニン療法:自分の免疫を抑制する為、他人の免疫を大量に点滴で入れる治療法です。
  ※私の場合は、1.2.3.の治療は、効果が見られず人免疫グロブニンの治療のみを現在、行っています。しかしいずれの治療も継続的に行う必要があります。

環境活動で環境大臣から表彰(車椅子で壇上に)
首都大学で1700名の学生さんに町づくり講演
孫と家内と娘
四元さんと友人と天丼号
ラジオの生放送
エコツアーの運転手
某局全国放送出演
某局全国放送出演
歩く様子(動画)
 

最初に現在の身体の状態について

平成26年5月9日(金)

【下肢】
 両足首から下がほとんど動きません。感覚にも異常があり痛みや熱いと言った感覚が鈍くなっています。先日、階段で転倒しつま先を階段の端に打ち付けて右足親指を骨折したのですが3日後、病院に行くまで気がつきませんでした。また熱湯を足の甲にこぼし火傷を起こしましたが靴下を脱ぐまで気づきませんでした。歩行に関しては、家の中など20-30m位なら壁伝いに杖なしで歩けますが野外では上肢の力も衰えた為ロフストランドクラッチの杖が無いと歩行できません。以前は、普通のステッキでも大丈夫でしたが3年ほど前から杖を変えました。また出張時には介助型の車椅子を利用する様になりました。この方がかえって周りの皆さんに迷惑を掛けずに済みます。介助または介助道具なくしては外出が出来なくなりました。この病気とは直接の関係は無いと思うのですが最近、歩行後に膝や股関節が痛む様になりました。運動不足と寄る年波か?通信販売で皇潤とやらを注文しました。

【上肢】特に以前から変化は無いようですがステッキが持てなくなりロフストランドクラッチに変更。全体的に筋力が低下しています。
   

【治療】
ヒト免疫グロブリンの点滴治療を継続しています。1クールは、50ml×11本=6時間×5日間です。治療後3週間程度は、改善されますがそれを過ぎた頃からコップを落としたり、つまずくことが多くなります。 以前は,このタイミングで治療を受けられたのですが昨年4月から医療制度が変わり最終治療日から30日経過しないと治療が受けられない為、生活のいろんな機会で思うに任せないことが多くなりました。気休めにビタミンB12錠剤(メチコパール)を処方してもらっています。

【車両の運転】
3台の車を乗りこなしてます。町中では光岡のマイクロカーかロンドンタクシー、長距離は、ボルボです。いずれもイグニッションキーを改良し指先で無く腕全体で操作できる様に改良したりライトなどスイッチ類を改造しています。前回の更新時に運転免許センターで適性検査を受けさせられました。

  


平成21年10月1日(木)

【下肢】
 両足ともほぼ同じ状態でつま先は、ほとんど持ち上がりません。もちろんつま先立ちは出来ません。膝から下は、力が弱く、歩行は可能ですが、躓かない様にかなり慎重に歩く必要があります。踵だけで歩くのでカッコイイ歩き方ではありません。過去に2回躓いて転倒、足の甲の骨を骨折しました。通常は、ステッキを使用しています。足場の悪い場所に行く場合や長時間の立ち姿勢が必要な場合は、肘から支える前腕支持型(ロフストランド杖)を使っています。家の中や近距離なら多少ふらつきますが杖無しでも歩行可能です。階段は、手摺りが有れば特に問題有りません。歩行スピードは、うちの元気な94歳の父より遅いです。暗闇では平行感覚が無くなり歩けません。(トイレや深夜の電話対応もある為、寝る時も明るくしています。)片足立ちは出来ません。支え無しで直立した姿勢の維持は出来ません。故に立ち話中に転んだことも数回有ります。手にカバンとか物を持つとバランスを崩し危険です。以前は、一人での出張は、怖くて出来ず家内と一緒に出かける様にしていました。最近は、要領よく動くことを覚え一人で出張することも出来ます。ただし何処に行く時もステッキだけ持ちカラ手で出かけます。場合によっては、ステッキさえ邪魔で最低限必要な物は、身に着けて行きます。移動は、可能な限り自家用車で行いますが東京とか遠方の場合は、飛行機とタクシーを利用しています。飛行機は、手厚い補助を受けられるので楽で助かります。鉄道は、ホームと人混みが怖くて乗れません。
 ※自力歩行可能な距離:最大1000メートル。    

【上肢】
 腕の方は、微妙に左右に違いがあります。左腕は、手首までは、ほとんど不自由はありません。手首は、下方向へは力が入ります。上方向は、動きません。指は、第二関節で曲がってしまいました。自力では真っ直ぐに伸ばせません。指4本でやっと小さな本を抱えることが出来ます。右腕は、上腕を曲げる力が非常に弱く手の平を上にした状態では腕そのものを持ち上げることが出来ません。手首は、左よりは少しましな程度です。何故か人差し指だけは、完全ではありませんが少し伸ばすことが出来ます。両手とも指で物をつかむ動作が出来ません。歩行時のステッキを持つこと自体が苦痛です。軽いカバン等は、曲がった指に引っかける感じで持てますが握力は、計測不能と言う状態ですので1sの携帯パソコンでも持てないことはありませんが5分とか超えると苦痛です。パソコンのキーボードは、左手の親指の第一関節と右手の人差し指で打っています。マウスは、小型のモバイル用でクリックのボタンが軽く行える物なら使えます。

【日常生活で出来ること】
 車の運転、簡単な料理、散歩、パソコン操作、電話機の操作(携帯電話は苦手)、食事、歯磨き、入浴、トイレ、ライターの着火、ビールの栓抜き、靴下の脱着、プリンターのインクの入れ替えと用紙の追加
  ※生活のいろんな場面で歯で咥えるとか口を本来の目的以外(袋の開封とか)に使うことがあります。  

【全身の状態】
 因果関係は、不明ですが発病後、凄い汗かき(多汗症)に悩まされています。季節に関わらず歩く時は、もちろん、講演などで喋ったりする場合も上半身だけに猛烈に汗が出ます。ハンカチでは、間に合わずタオルが必要な程です。夏は、特にヒドイので極力、ホテルから出ないようにしています。

【補助の必要がある行為】
 ワイシャツのボタン、タオル絞り、レストランや宴席の食事、荷物運び・・・

【出来ないこと】
 バイク、自転車、犬の散歩、孫のオムツ替え、スポーツ全般、カメラのシャッター押せません。ピストル撃てません、空飛べません、丸いノブの付いたドアが開けられません。紙を捲るのが億劫で本を読むのは辛いです。

【工夫して出来ること】  車の鍵やスイッチ類、ネクタイ。ドアノブのレバー式への取り替え。ペットボトルの蓋のキャップは、前歯で噛んで両手でボトルを回せば一人で開けられます。ジャンバーやカバンなどに付いているジッパーは、つまみにリングを付けて指で引っかけて開閉できる。デスクワークの際、身の回りにラジオペンチをおいているがデジカメのメモリーカードの抜き差し他、超便利。

【現在行っている治療】
毎月5日間、湯原温泉病院で人免疫ブロブリンの点滴を1日に11単位(100mg×5本+50mg×1本)
ビタミンB群の投与。

【現在の体格】
 身長175センチ、体重67キロ:手足の筋肉が細いので頭が大きく重たく、お腹は、ぽっこりかわゆい。
 ※発病前は、体重55キロのスマートな体型でしたがステロイド治療の時、一気に20キロ近く太りその後、ダイエット。

【私の仕事】
(有)三好野旅館 代表取締役
現場ではホテルのフロントでチェクイン時の各種ご案内、送迎やエコツアーの運転手。レストランでのオルゴール演奏、事務所ではパソコンを使用する事務全般。
他に(社)湯原町観光協会、湯原町旅館協同組合他、関係団体の役を多数とラジオの番組に出演しています。

【特技】
パソコンの音声入力、温泉指南など理屈っぽい話。

経 過

○発病:1991年〜1992年
1991年の秋、左手の小指が曲がったまま伸ばせず、これはコンピューター技術者の職業病とからかわれていた。本人的には不自由も無く自覚無し。1991年の町内運動会に家内の美穂と二人三脚に出場、善戦し先行者を追い抜いたのだが、元々足の速いほうだった私が家内に引っ張られていたと後で友人達に聞きショックを受けた。この当時、「お前の歩き方は、変だ!」と忠告を受けたことがある。本人的には自覚しておらず友人達からの忠告も「変なこと言われたなぁー」と思う程度で特に気にもしなかった。1992年2月、子供のスキー教室に同伴した。その際、リフトの最上部まで上がり滑る気満々で望んだが、何故が左方向に曲がり真っ直ぐに滑れない。やっとの事でロッジまで帰り着いた。子供の世話処では無かった。ロッジから駐車場へ向かう道でも積雪場所では何度も理由無く転び、知人から笑われる。本人としては不本意な転倒でこの時点で身体の変調に気づく。その後、近所に筋ジスのお爺さんが居られその後、亡くなられた。もしや私も同病ではと思い悩む。翌1992年の春には、両足のつま先に力が入らず、ジョギング程度の走る行為が取れなくなった。その後、両手の筋力も低下し本など少し重たい物を渡された時に落とす様になった。この異変に何らかの病気という自覚はあったが当時の私自身の知識では「筋ジス」以外に思い当たらず、家人にも打ち明けず悩み込んでいた。

○入院
1992年6月〜9月・川崎医科大学付属病院(岡山県・倉敷市)に入院
入院時の病状:両足のつま先は、上がらないが自立歩行は可能。手首が重力に逆らって上方向に曲げづらい、足先(甲)が上に持ち上がらないのでスリッパ状の踵のない履き物は、履けなくなっていた。握力は、両手とも7キロ程度、指先が動かしづらく違和感あり(当時はまだパソコンのキーボードが全部の指で打てた)無力感・・入院加療中も徐々に病状は悪化。こんなトコかな。
【病名確定】入院当初は、病名も分からず毎日、検査に明け暮れる日々が続いた。血液に尿検査は、毎日だし、今更ながら整形外科的な検査、大嫌いなルンバール(腰椎穿刺)も行った。入院後、30日たっても病名が確定せず、腕の神経伝達検査(親指の付け根とか手首、二の腕あたりの神経ポイントに標を付け、ビリビリと電気を通すと神経の伝達速度が測れる・・これ結構、苦痛)、最終的には踵の神経を麻酔無しに切り取る神経生検、生きた神経を取り出し薄切りにして電子顕微鏡で検査、これらの検査からCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と認定された。

【初期の治療】ステロイドのパルス療法・ステロイドの飲用・免疫抑制剤の投与・血漿交換3回・ビタミンBの投与等を行うが効果無く、この時点で開き直りで諦めた。唯一継続していたステロイド療法も、その副作用の方が恐ろしくなり11月に20ミリグラム飲用となった時点で退院。
その後、ステロイドの量を15ミリ、10ミリ、5ミリと約3ヶ月単位で減量し、0となった時点で通院をやめた。以後8年間は、無治療。


○1993年5月?身障者手帳を頂きました。(上肢3級下肢4級)
 ※その後、2004年に再審査を受け、上肢下肢共に2級となり、現在、1級の身障者手帳を交付されています。

○2000年11月インターネットで人免疫グロブリンが保険適用になった事を知り8年ぶりに川崎医科大学付属病院に再入院。初回は、経過を見る為の検査と治療後の効果を見る為に3週間の入院。以後は、点滴治療のみに約一ヶ月毎に5日間入院する事を約6ヶ月間続け、この程度の治療ならどこでも出来そうな気がして思い切って担当医に相談しました。結果、住まいのある湯原温泉病院で現在、概ね30日〜40日の間隔で通院し点滴を受ける治療を続けています。(1回の治療は、5日間)
※人免疫グロブリン=献血グロブニン(ニチヤク)50mgを1日11本(本数は体重による)
※現在は、100mgの従来の倍の容量の点滴5本と50mgの小瓶を1本を行う様になってます。
  この11単位、時間にして約7時間の点滴を毎月行っています。


○2004年 1月・・現在の状況
 100m以内ならゆっくり自立歩行可能。無理すれば500mぐらいなら杖さえあれば歩行可能ですが疲労感は強く、歩行スピードも・・100m5分かな?
 自動車運転AT車なら可能(鍵に簡単な補助道具を付けた)、現在、ぶつけても平気な真っ赤な戦車(ボルボ)と町内のチョコチョコ移動用に駐車違反お咎め無しの 50cc原付4輪車(光岡製の自作車)を使ってます。
 パソコンは、左手親指の第2間接部分で打ち込み可能。人免疫グロブニンの効果が無くなってくると腕が持ち上げづらくなり打ち込みが苦痛になる。通常、この程度で治療の日程を判断、私から病院に言い予定を決める(マイペース)。マウスの操作は、多少遅いが可能。音声入力が得意です。
 Yシャツのボタンは、留めたり外したり出来ないので補助が必要。ネクタイは、スプリング式のワンタッチタイプに全て改良。ズボンは、10年前からズボン吊りを愛用。
 食事は、麺類なら箸は使えるが、概ねフォークとスプーン、右腕の持ち上げが出来ないので左腕で補助しながら口に運ぶ。などなど・・人使いが旨くなりました。 余病なし。グロブニンの効果が無くなってくる点滴後4週間を過ぎた時期になると多少イライラしてくる感じ・・家族からメチャ不評・・でこの時点で病院がよいとなるケースが多い。な?

○2009年 10月
 月に5日間行う人免疫グロブニンの治療は、現在も変わらず続けています。いろんな組織の役職を持つ関係もあって必ずしも5日間で治療を行っている訳ではないのです。5日間×11単位の点滴をスケジュールの都合で10日間で行うような時もあります。ある日、午後からの会議にどうしても出席しなければならず6単位しか点滴できなかったと言う場合には、残りの5単位を治療日数を追加して行うことになります。土日を挟んでの治療にならざる得ませんので結果的に8日間になる訳です。

○2010年7月14日
 5月の点滴後、6月に入り身辺忙しく6月の治療は行えず7月7日から治療を行った。今日まで8日間掛かった事になる。治療前の7月上旬は、歩行が辛く、コップが片手で持てない状況までなっていた。コップを持つ手がぐらつき何度も落としてしまう事があった。今日現在は、いつもの微熱があるが手足とも若干回復したように感じる。21日に伝導試験を行い、今後の治療法について検討する予定。

月刊ホテル旅館(柴田書店):インターネットコーナー原稿:古林伸美

8.楽チン人生・あまえてごめんね(2000年11月号)

CIDPと言う病気をご存じだろうか。CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と呼ばれる神経麻痺の病気で宝くじに当たるより希な病気だそうである。あまりにも発病例が少なすぎて疫学的調査は、国内・海外とも未だ行われていない。1992年2月にこの病気に大当たり。ファンファーレのラッパの代わりに手足の麻痺が始まった。最初は左手の小指から動かなくなり両足膝下、両腕が部分的に麻痺してきた。こんなややこしい名の病気など思いもよらないのでてっきり筋ジスと思い込み絶望し心底落ち込んだ。神経内科の治療を受けとりあえず生命に危険がないことは判ったモノの精神的な打撃は消えず落ち込んだままだった。治療法も当時はないまま退院。ホテルに帰ったモノのそれまでのような仕事は出来ない。私も他の旅館のご主人のように結構、手八丁、口八丁だった。下足番から調理までまた少々の修理なら電気から大工仕事まで何でもやっていた。身体の麻痺は、それらのほとんどを不能にした。出来る事と言えば電話番とパソコンを使った経理ぐらい。趣味の自転車やスキーともおさらばした。無様な歩き様や食事の仕草が嫌で人との接触を断っていた。気晴らしで飲む酒が過ぎてアル中になり県の保険センターのお世話にもなった。我が人生のどん底だった。  そんな私を立ち直らしたのが家内の美穂だった。とにかく人前に引っぱり出したのだ。当時曲がりなりにも全国の旅館青年部の役員だったがほとんど出席しないでいた。そんな嫌がる私を無理矢理引っぱり出し義務感から仕事をさせた。お陰で少しずつ人の目が気にならなくなった。パソコンの技術を持っていたことも幸いした。指先の麻痺は徐々に進行したが急激に進む技術進歩がそれを上回った。近年にはインターネットも登場し否応もなく他の仕事から開放された身には、それに専念できかえってありがたい事となった。雑用も人に任す度量も出来た。  さてこうなって来ると中なか快適な人生だ。頭の回転はそれほど良い方ではないけれどこの身体のお陰でじっくり考える時間が有る。経営のこと、町づくりのこと、業界のこと、 今まで見えなかった事が見えてくる。要は割り切りだ。元気な身体が無いならその分、少々心許ない頭だがこれを使って経営してみよう。自分に出来る事で社会に尽くしてみよう。大それた考えです。動き回れば多くの人に迷惑も掛けてます。でも私にはこれしか有りません。これからもみんなに甘えながら生きていきます。  私の病気の原因ですが最近の研究によれば免疫不全が原因だそうです。神経細胞は風邪などのウィルスに形が似ているそうです。風邪に罹った際に免疫の抗体が異常を起こし自らの神経細胞を攻撃するようになった結果だそうです。今年はインフルエンザの蔓延が起りそうとの事です。まさしく風邪は万病のもとです。読者の皆さんも何かと厳しい時節ですがお体大事に頑張って下さい。くれぐれも私のような拾いものをしないように・・。 PS:全旅連では集客に役立ち業界の情報ツールとしても役立つ「全旅連専用携帯電話」の配布事業を行ってます。詳しくはHPか、各都道府県の組合事務所にお尋ね下さい。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美

21.人生修行の入院(2002年1月号)

今ちょっと入院してます。なかなか快適な入院生活です。お酒こそ飲めませんがかわいい看護婦さんが細やかに気遣ってくれて天国です。「最近の若い子は、何考えてるのか判らん」なんて自分の若い時のことを棚に上げて思うこともありますが、責任の重い危険な仕事をかいがいしくこなす彼女たちの姿を見て「なかなかどうして・・」と考え直しました。今回の入院は、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と言う珍しい?病気の治療の為です。免疫不良による神経麻痺で体のあちこちが動かなくなる病気です。10年前に発病したのですが当時の医学では効果的な治療法がなく今日まで「気持ちを体に合わせて」きました。最近になってヒト免疫ブロブニンという血液製剤が認可され効果を上げているという情報をインターネットで得たので「じゃあ試してみるかな。」・・と言う事で入院する気になりました。十年前に一度はあきらめた躰ですので少々複雑な思いもあります。治療の効果はてきめんで一部ながら改善の傾向が現れてきました。十年前にも治療方法の一つとして医師から提案はされたのですが、当時は、保険の対象とならない為、数千万の費用もかかると言われ行いませんでした。もし行っていたら発病直後なだけにもっと画期的に躰の機能は改善したかも知れません。でも大量の血液製剤は、当時は、フィルタリングされておらず確実にB型C型などの肝炎に感染していたでしょう。もし十年前に不自由な体にならず元気だったら遊ぶことばかり考えて今ほど仕事をする気にならなかったかも・・等々。何が幸いで何が不幸に繋がるのか、こればかりは誰にも判りません。過去は、過去として今は、明日を見据えた最善の策と行いに心がける。悩むよりも行動です・・なんて事を自分自身に言い聞かせてます。私の今居る病棟は、難病や重病の方ばかりです。八人の病室も静かです。しかし中央にあるロビーは、様態の安定した方が集まり結構にぎやかです。私の場合は、タバコ吸いたさもあり点滴をぶら下げて大半をこのロビーで過ごしています。胃ガンで明日、手術する人、膠原病で30年入退院を繰り返している人、皮膚が硬化する難病で指が曲がり社会復帰に悩む二十歳のお嬢さん、筋ジスのお爺さん。世間話に病気を忘れ花が咲きます。消灯後もここは賑やか、若いグループは、お菓子を持ち寄り毎日パーティーです。そんな中に面白いお爺さんが居ました。自らも膵臓ガンで放射線の治療を受けているのですがその若いグループに入って毎晩人生相談に乗ってました。聞けばお寺のご住職。豪快に笑う様からは本人が重いご病気とは、とても思えませんでした。どんな境遇にあっても人を思いやれる気持ちを持ち続ける。十年前の長期の入院時には、感じなかった思いが少し芽生えた今の私です。世情を離れて病院暮らし、人生の修行にたまには良いかも。脈を執ってくれる看護婦の笑顔を見上げ何故か血圧の上がった私です。「修行がたらん、修行が・・カツ」例の和尚さんに叱られそうです。  ホテルとホスピタルは、語源は同じだそうですが我が儘な患者に笑顔を絶やさず優しくいたわる看護婦さん達、旅人をもてなす我々は、見習うところが多くあるように感じました。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美

22.明日が楽しみな日々(2002年2月号)

先月号に書きましたが私は、現在、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)の治療として免疫ブロブリンの大量静脈点滴を受けています。一ヶ月のうち7日程度入院して検査と点滴を行います。この点滴で使用する免疫ブロブリンという薬は大変高価な薬で1本が3万5千円もするそうです。これを一日に11本、5日間点滴します。一ヶ月の治療代は、200万円を超えます。この治療をこれから2年間毎月続ける必要があるそうです。さらにその後も年数回は、この点滴を受け続けることになるとか。実際に私の支払う治療代は、保険と高額医療補助のお陰で10万円程度で良いのですが、お金の問題は別にしても複雑な心境です。免疫ブロブリンは血液製剤です。この薬1本を製造する為には、数十人単位の多くの人の献血(成分献血)が使われています。私の健康回復の為に他人の善意が消費されていく。 私が無駄な時を過す事は、その善意の方々の意を浪費しドブに捨てる行為だ。こんな私にそんな薬を使うだけの価値があるのだろうか。どんな生き方をすればその方々の善意に答えることになるのか。きっとこの治療を続ける限りまた生きている限りこの自問は繰り返す事でしょう。  先日、こんな事がありました。ある親子連れの方が一ヶ月の間に2度お泊まり下さいました。一度目は、旅の途中の偶然のご利用でした。60歳代のご夫妻とそのご子息でした。ご主人は、くも膜下で半身重度の障害をお持ちでした。この宿泊の後、家に帰ってから旅先で偶然出会った私のことが話題に上がりフロントでの対応やレストランでのサービスの模様が話されたそうです。私の宿は、小規模なので手足は不自由でも口達者な私は、戦力です。フロントでのご案内と夕食時レストランでのアンティークオルゴール演奏会は、私の仕事にしています。そんな私の姿をご覧になりご主人を勇気づけようと二度目のご宿泊となったそうです。その日、チェックインの予定時間よりも随分早くご到着なさって車椅子で街をご散策されていましたが気がつくと他のお客様の案内をする私の様子を少し離れた位置からご覧になっておられました。こんな私でも人を勇気づけられる力があるのかと思うとテレ恥ずかしく思いながらも嬉しさも込みあげてきました。実は、私自身も発病当初は、奇異な動きが恥ずかしく人前に出ることが出来ませんでした。家内に無理矢理引っ張って行かれた会議の後、東京の交差点で偶然すれ違ったサリドマイドの方の毅然とされた姿に感動して吹っ切れたのです。  治療の効果は、かなり劇的に出ています。昨日まで出来なかったことが私自身も気づかないぐらい自然に出来ると言ったことがあります。気持ちも180度変わりました。今までは、日に日に動かなくなる体に怯えて暮らしていました。夜、寝ることが怖い日々でした。今は、明日が楽しみな暮らしです。今後、完全に直ることはないでしょうが良くなっていくことでしょう。健康を取り戻した時に不自由だった時を過ごした日々を忘れないようにしなくては・・。

月刊ホテル旅館:原稿:古林伸美
                 2007年 8月号

83:不自由な身体と口の関係?
 昨年9月身障者の程度変更があり3級から1級に昇格しました。あまり嬉しい話ではないのですが治療費の負担金が大幅に安くなったのはありがたい話なのです。
 私の病気は、CIDPと呼ばれる免役不全の病気で自分の免疫が自分自身の神経を攻撃する抗体に変異していて主に手足の運動系の神経に障害が起きています。この治療には自分の免疫を押さえ込む為に他人の免疫を大量に輸血する治療が必要で月に五日間、一日に七時間の通院治療を行っています。この治療に使う薬が大変高価で保険適用になった今でも四〇万円程度掛かっていました。高額医療となるので数ヶ月先にはその内の三十万円程度は帰ってくるのだが一時の負担が大きいので本来、月一度の治療を行う必要があっても三ヶ月に二回とかタイミングの悪い時には二ヶ月に一回程度になっていた。ところが身障者の認定が一級になってから一回の治療代が一万円程度で済むようになってのです。げんきんな物で治療代が安くなるとこまめに治療に赴くようになりました。この効果は、数ヶ月後に現れました。徐々にですが足に力が入るようになったのです。歩行距離が二倍には増えた感じです。
 発病したのが一九九二年。数々の治療方法を試みたのですが有効な治療方法が無く十年間放置状態でした。その後、人の免疫を輸血する血液製剤での治療法の安全性がある程度保証できるようになったのとこの病気の治療法として保険適用になったと言うことで二〇〇二年から現在の治療を受けています。発病から一〇年間は絶望感に苛まれながらも日々を大切に生きました。免疫治療を始めてからは明日の事が考えられるようになりました。そして今、徐々に回復の兆しが実感できる様になりました。治療その物は、死ぬまで行う必要がある訳で月に五日間は病院に縛り付けられる運命ですがそれは完全休養期間と割り切ってしまえば言い訳です。発病以来、一七年になるわけですが新たな局面を迎えています。
 さてそんな私ですが身体が動かなくなった分、口が立つように成った所為かどうかは別にして町の世話役は、ビシバシと回ってきます。三年前からは旅館組合長を仰せつかり今年の総会で留任となりました。さらに前代未聞なのですが「観光協会長もお前ヤレ」と言う事になってしまいました。一つ受けたら同じ様なモンだろうとタガを括って掛かっていたのですが大きな間違いでした。五月の総会以来、カレンダーに空きが無くなってしまったのです。殆ど毎日何かの会議が入っている。多い日には三つ四つと分刻みでスケジュール管理されている。良いリハビリになっているとは思うのですが少々オーバーワーク気味です。お陰で我が宿の事は、家内や子供たちに任せきり、たまに業務についても浦島太郎状態でさっぱり要領を得ずあげくは、「お父さん邪魔だから・・・」となってしまいました。私は、宿屋の親父家業が大好きでもっと前に出たいと思っているのですが実質的な隠居状態に成りつつあります。実に寂しい・・。

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